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イントゥ・ザ・ウッズ
2015/03/30(Mon)
赤ずきんはじめ、登場人物が歌い上げる「Into the Woods!Into the Woods!Into the Woods!」が印象深いミュージカル映画。…というか見どころ聞きどころはこの歌だけというか…

全米公開のニュースで見た赤ずきんがあまりにもイメージどおりだったので面白そうだと思ったのだけど、もともとは演劇ということで、ストーリーは荒唐無稽で一貫性がなく、思ってた物語とはちょっと違った。
パン屋の夫婦が呪いを解いて子どもを授かるためには、「血のように赤いマント」「雪のように白い牝牛」「トウモロコシのような髪」「金色の靴」を集めなければならない。
というわけで、主人公はメリル・ストリープ演じる魔女に呪いをかけられたパン屋の夫婦で、ほかに赤ずきん(赤マント担当)、シンデレラ(金色の靴担当)、ラプンツェル(トウモロコシ髪担当)、ジャック(白牛担当)が登場。

ジョニー・デップが赤ずきんを狙う狼だけど、私が大好きなカルトムービー「狼の血族」のような色気はなく、赤ずきんもすげー大食いの奇声キャラ。
ジャックは貧乏であまり頭がよろしくないので、白い牝牛の売り方がイマイチわからない。
シンデレラに至っては毎晩舞踏会に行くのはいいのだが、全速力で真っ暗な森を駆け抜けて逃げ去る韋駄天娘。
魔女に育てられているパン屋の妹でもあるラプンツェルは童話のまんまで、シンデレラの王子の弟と懇ろになる。

登場人物がそれぞれ勝手気ままで、そんな連中からひとつずつグッズを集めなければならないのだからパン屋も相当苦労する。
でもパン屋もずるいんだよね。おつむのよくないジャックからは豆と引き換えに牝牛を手に入れ(この豆が「豆の木」となって巨人の国に繋がる)、赤ずきんからはずきんを、シンデレラからは金の靴を盗もうとするし、ラプンツェルのことも王子のふりして騙す。
こいつら騙すか盗むかしかしてねーよ!(しかもほぼ初見は失敗)

まぁ紆余曲折を経てパン屋はなんとか無事にグッズを集めることに成功し、魔女が若返ったので呪いは無事に解かれ、子供を授かる。グッズはインチキ(トウモロコシのヒゲ)でもよかったり、牛が死んでてもよかった(生き返らせられるから)とか、どうも腑に落ちないんだが、そこはまぁいいだろう。許す(エラそう)

シンデレラは逃げるのをやめて王子と結婚し、国を治めることに。
巨人の国へ行ったジャックは宝物をせしめた上に追ってきた巨人を撃退する事に成功し、金持ちになる。
赤ずきんは狩人ではなくパン屋に狼の腹から助け出されて、まぁいつも通り。
魔女に追放されたラプンツェルも失明した王子の弟の眼を治すことに成功した。

こうして一旦ハッピーエンドかと思わせたんだけど、その後さらなる「えええ?ないわ~」という展開に向かう。
豆の木の上に住んでいた巨人女が、夫を殺したジャックに復讐しに降りて来たからだ。
おかげでジャックの母親は家ごと潰されて死んでしまう。
ついでに赤ずきんの母親とおばあちゃんもお陀仏に。
国の危機だというのに、シンデレラの夫は新妻に飽きたのかパン屋の妻と不倫に走り、パン屋の妻は崖から落ちて死んでしまう。
シンデレラは不実な夫を見捨て、ラプンツェルは母だと思っていた魔女を見捨てて王子の弟と出奔してしまう。
なんかもう、急転直下過ぎるよ!

魔女も絶望して沼の底にひきずりこまれてしまい、それぞれ独りぼっちになったおとぎ話の主人公たちと森の奥で合流したパン屋の夫は、「立体機動装置を使い、巨人の頭より下、うなじにかけての縦1m横10cmを削ぎ落とすのだ!」(BGMはもちろん「♪Seid ihr das Essen ?Nein, wir sind der Jäger !♪」)

…とは言わず、石をぶち当てて殺そうと提案する。
その結果、巨人のおっかさんはそのまま岩に当たってお亡くなりになった。
ってか早いな、決着つくの!

豆の木を登ってきたジャックを人食いの夫から匿ってくれたんだし、もともとは親切な人だったと思うので夫の死に逆上したことには同情できるのだけど、とはいえラスト直前になって「第2部 進撃の巨人」になっても困るので仕方がない。

妻を失ったパン屋、夫を見捨てたシンデレラ、母を失った赤ずきんとジャックは、赤ん坊を含めて5人で暮らす事になった。
えええええ…何それ…わけがわからない…

私はグリムやペローのおとぎはなしの暗喩がとても好きなので、これらをモチーフにした映画(特にちょっとダークだったり色っぽかったりすると嬉しい)にはいつもいつも大期待してしまうのだけど、いつもいつも大きく裏切られてしまう。「ブラザーズ・グリム」とか、「マレフィセント」とか、「赤ずきん」とか、「エバー・アフター」とか、古いところだと「スプラッシュ!」とかもそれ。(そのまんまの童話を映画化するんじゃなく、何かアレンジされてるものってことで。見てないけど「ヘンゼルとグレーテル」とか、「スノー・ホワイト」とかも該当するかな)裏切られなかったのは前述の「狼の血族」くらい。
始まってすぐ、これはまたしても私の勘違いだったなと思ったけど、それこそもうInto the Woods。

演劇だったらライトや背景での舞台効果や、音楽や歌で盛り上げて暗転→場面転換とかありだけど、映画だとどうもねぇ…
非常に印象的な「Into the Woods!」はよかったけど、本当にそれくらいかな、評価できるのは。

それにしてもこの物語、ラプンツェルはパン屋の妹なのに、この仲間たちとは何の関係性もなかったのが気になる。
そして何より一番こっぱずかしかったのは、王子と弟が滝の上で愛する人に恋焦がれる気持ちを歌い上げるシーンで、胸をはだけて絶叫するところであった。

何やってんのあんたたち…

(2015/10/17 記)
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ももへの手紙
2015/03/22(Sun)
うねうね動く作画はすごいが、物語的には地味な映画。
映画館で予告を見たような気がするが、なんだってこんな深夜に放映するんだTBS…

主人公のももは、年相応のすんなりした体つきに、ちょっとひねくれた現代っ子で、可愛げがないところが可愛い。
ももの父親は海洋学者で、海での事故で死んでしまった。
ももは未亡人となった母親と一緒に彼女の故郷へやってきたんだけど、都会っ子がいきなり田舎暮らしに慣れるはずもなく、疎外感をひしひしと感じながら鬱々と過ごしている。

それに、ももには悩みがある。
それはお父さんと喧嘩をした時が、お父さんに会えた最後の日だったということ。
そしてお父さんは「ももへ」とだけ書かれた手紙を残していて、それが何を言いたいのか、わからないこと…

そんなももの前に、天から落ちてきた「見守り組」という3匹の妖怪が現れる。
この後はまぁ、お約束的に、やつらの正体が何なのかわからないがゆえの大騒動が起こるわけだ。
それまで鬱々していたももがぎゃーぎゃー騒ぎながら島中を逃げ回ったりとか、ホント、お約束展開。

この時、島に住む陽太って少年が助けてくれたりして、またこの陽太がいっちょまえに都会っ子のももに気を使ってくれたりして(祭の船をみせてくれたり。会話はないけど)いいヤツなんだよね。
騒ぎの後で、妹と一緒に仲間とやってる橋からの飛込みに誘ってくれたりもする。さすがにワイルド過ぎてももには無理だったけど、この陽太とウミの兄妹は田舎者のクセに繊細な心遣いができるようで、後日、2人しかいないからとまた飛び込みにさそってくれたりするのだ。いい子たちだなぁ…

やがてももは、妖怪の正体を知る事になる。
西田敏行演じる大顔面のイワ、山寺宏一演じる皮肉屋のカワ、そしてチョーが演じるとっぽいマメ。
その後、通行手形を壊す壊さないで揉めつつも、なんとなく折り合っていくももと妖怪たち。

盗んできたものを差し出して怒られたり、寝そべってテレビを見てる姿にあきれたり、女子小学生と小汚いオヤジの攻防は続く。
この後もイノシシを追っかけたり、大切な父からの手紙を改竄して空へ送っちゃったり、なんだかんだとあるんだけど、全体的に長い。
色々あることはあるけど決定打がないとでも言おうか…

ま、決定打となるのはいろいろな事を経て、妖怪たちが屋根裏に隠していた島中の女子小学生から盗んだ物品を見た母親が、ももに問い質した時かな。
「よーうかーいの~せいなのね♪」という答えでは当然許してもらえず、ももは母親に殴られてしまう。正真正銘、妖怪のせいなのにねぇ…

家を飛び出したももは、ばったり出会って、慰めようとしてくれた陽太(本当にいい子。もも、もう結婚しちゃいなYO!)に「私にはお父さんがいない」と八つ当たり。
でもさすがに色々と悪いと思ったのか、ももはイワたちに、父親と喧嘩をしたまま別れてしまった事を告白し、思いのたけを吐き出す。
一方妖怪たちも、自分たちが天の遣いであり、亡くなった人の代りに残してきた人を見守るお役目があると告げる。

ここまでも大分冗長だったけど、この先もかなり冗長。
喘息の発作を起こした母のため、台風の中を医者を呼びに行くって言うんだもん。
いやいや、危ないし。
喘息も本人は苦しいし、重積発作を起こせば怖いけど、今のところ生死に関わるほどじゃないんだし。

そう思ってる間にももは飛び出し、なんやかんやで妖怪大集合が起き、ももは医者のいる隣島へ到着した模様。
で?
どうやってあの嵐の中を医者を連れてきたわけ?母親が寝てるのってどこの病院?(無表情で淡々と聞く)

見守り組の3人は天に帰ることになり、ももは父親に手紙を届けて欲しいと駄々をこねる。
本当はダメらしいんだけど、すったもんだの挙句(こういう表現ばかりなのは、全てが冗長なので端折るため)3人は手紙を携えて天に帰る。

そして祭の夜、母と共に海に浮かぶ藁船を見ていたももは、父からの手紙を受け取った。
そこには「よく頑張った、お母さんをよろしく」というようなことが書いてあって、ももからの手紙がちゃんと届いたことがわかったのだった。

いやー、作画は凄いけど、内容的には「ちょっと!ちょっとちょっと!」とチョップしたくなるような映画だったね。
妖怪がももの友達になってくれるというわけでもなく、むしろ妖怪の窃盗癖のせいで親子の仲がこじれるとか、やたら長いイノシシとの攻防とか、妖怪のドジのせいで陽太とウミとの約束をすっぽかしちゃったり、父親の最後の手紙を天に送られちゃったり、なんかこう…ダメな点しか見当たらないような気がするんでござるよー

それに、いくら我々が外連味たっぷりのアクション満載の宮崎アニメが好きでも、小学生の女の子が台風の中を造りかけの橋を渡る必要も、緊急性もないと思うのね。
王蟲が突進してくるとか、バルスが発動したとか、時計台でプチッとなったらローマ時代の遺跡がコンニチハとか、ギガント発進とか、そういう危機とは全然違うと思うのね。

妖怪たちも、体を消すのがヘタクソだったり、ドングリをぽろぽろ落としたり、もふもふしてて大あくびしたり、さらにもふもふして飛びまわるバスだったりするならともかく、物を盗んだりバイクに勝手に乗ったりイタズラしたりじゃ、いまひとつ心を寄せられないのよね。

うーん…素直になればももは可愛い子だし、寡婦になっちゃったお母さんも頑張ってるので(郵便局員といい仲になるのかどうかはわからんが、なんとなく違う人と再婚しそうな気がする)、問題はない。
何より陽太がいいヤツなので、今後は是非いい男に育って、2人にはどんどん仲良くなってもらいたい。
それくらいなんだよなぁ…褒められるのは。

主役の美山加恋は上手だったし、何よりお母さん役の優香がとっても上手で、プロの声優がやってるのかと思った。宮迫も上手いし美声なのでビックリしたけど、役者やタレントや芸人にはたま~にこういう勘のいい人がいて驚くよ。

作画は本当に凄いけど、作画しか褒められない映画かなぁ、残念ながら。

(2015/10/17 記)
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かぐや姫の物語
2015/03/13(Fri)
アカデミー賞を逃したものの、水彩画のような優しい絵で、そのくせ高畑監督らしい、時には宮崎駿監督以上に毒のあるウィットの効いた「竹取物語」

光る竹の中から拾われた「タケノコ」は、「竹取物語」では早々に美しい姫になってしまうのだけど、この映画では村の子供たちと子供らしく触れ合いながら大人になっていく姿が、結構長いスパンで描かれる。成長は原作どおり早いんだけどね。

小さいころから可愛らしかった姫は、まだ未分化の時代には男の子のようにも見えるけど、うん、まぁ、「まんが日本昔ばなし」で村の子供たちが遊びまわる(その中のチビに大体すっぽんぽんがいる)雰囲気を思い出してもらえばよかろう。
オリジナルキャラの捨丸兄ちゃんに命を救われたりしつつ、姫は毎日楽しく、元気に育っていく。

なお、養育費は月からありあまるほど支払われていた模様。
囚人の生活費にしてはやけに高い気もするけど、人間を猿の群れに入れなければならなくなったら、せめて食べ物や家はちゃんとしてやろうと思うのかもしれない(ホントか?)

やがて翁は姫を連れて都に移り住み、立派な貴族の姫にすべく教育を始める。
ヨーロッパでは神聖ローマ帝国だのヴァイキングだのが野蛮で血腥いことこの上ない戦争ばっかりやってて、イスラム社会では歴史や哲学や航海術が発達し、中国では唐が衰えて諸国の力が増し、日本は貴族文化華やかなりし平安時代。
今から1000年近く前に、世界的にも政治も経済も文学もまだまだ全てが発展途上だった時代に、女流作家が流行小説を書いたなんて我々は当たり前のように思ってるけど(そして古典の時間には憎しみすら沸くけれど)、実は凄い事なんじゃね?と思う時代である。

姫は和風ロッテンマイヤーさんの指導の下、髪を長~く伸ばし、絵巻を見たり和歌を詠んだり、お歯黒の指南を受けておしゃれに精を出したりしながら、よりよい公達に見初められるべく、磨きをかけられることに。
もちろん、自由闊達に育った姫は不満が一杯。
だけど愛する翁の言う事ならと、同じく貴族暮らしに馴染めず、庭の東屋で草花を育てている媼に慰められながら我慢の日々。

CMでよく流れていた「かぐや姫の激走」は、こうした鬱屈した日々への怒りという事なんだろう。
大人になり、「かぐや姫」の名を受けた姫は、宴の最中に人々(基本男ばっかりだけど)の心無い言葉を耳にして、怒りのあまり走り出してしまう。
けれど、かつて住んでいた家はもはや自分の家ではなく、捨丸たちもいなくなっていた。
ここは夢なのか現実なのかわからないままだけど、月の人であるかぐや姫に不思議な力があってもおかしくはない。

しかしやがて姫の美貌を聞きつけた5人の公達が求婚にやってくる。翁はそれはもう大喜びだ。
翁を含め、出てくる男がかぐや姫の想いになんか何一つ考えを巡らせず、姫のためと口では言いながら野心や欲のために好き勝手な行動を取るので、かぐや姫はますます嫌気がさしてしまう。

そしてかの有名な「あの宝をモッテコイ」となり、貴族たちはニセモノを作ったり、別のものを持ってきたり、宝を取りに行って命を落としたりする。
姫は口八丁な連中に怒りを感じると共に、死人が出たことに嘆いてもいたけど、まぁ自分でそう言っちゃったからねぇ…
自分が物のように扱われてると怒るのはわかるけど、危険な宝探しに行けと言うのは限りなく未必の故意に近いわけで…
ならせめて一人ひとりともう少し時間をもって話してみれば、本性が見て取れたかもしれないしねぇ…

全ての求婚者を追いかえしてふさぎこむ姫に、ついに顎の長い帝までもが興味を持ち、襲い掛かってくる。
「竹取物語」では帝と別れなければならないとさめざめ泣いて贈り物を託したような気もするけど、タケノコはスケベなアゴ帝の行動にほとほと嫌気がさし、「ここにいたくない」と心から願ってしまう。

このことが浄化のサインで、かぐや姫は月に帰ることになり、あとは物語どおりなのだけど、最後に妻帯者となっていた捨丸にいちゃんに会ったり、翁と媼に自分の素性や事情を話したりして、「帰りたくない」と駄々をこねるシーンもあった。
でも月からチンドン屋さんを連れた大仏行列みたいなお迎えが来ると、翁たちが準備した警備も役に立たず、姫は記憶を失って月へと帰っていく。

さてこの映画の煽りといえばなんといっても「かぐや姫の罪と罰」がなんなのかということだった。
何しろ綺麗な女の子に群がる欲望まみれの男たちの業が深過ぎて、姫の罪と罰が霞んでしまう上に、はっきりと示されたり語られたりしたわけではなく、「考えるな、感じろ!」的な物語なので、感じ方はひとそれぞれだろう。
正直、私も見終わった時はポカーンとしてしまって、「え?で、罪と罰って何よ?」と首を傾げた。

タケノコが幼い頃から歌っていた歌は地球の歌で、以前、姫と同じように地球に流された誰かがつきで口ずさんでいたものだったとか。
感情もなく、心穏やかな月の民であるはずの姫は、その歌を聞き覚え、地球に憧れ、やがては「地球に行きたい」と熱烈に思うようになった。
月では、そんな事を考える事さえも重い罪なのだそうだ。だからそんな罪人は地球に流して、隣の芝生が本当に青いのか見て来いと言う事だったらしく、これが罰なのだとか。

えええええ…ぶっちゃけわけがわからん…

これを劇場で見て、エンドロールが終わって電気がつき、とっとと帰れと言われても、ずーっと腑に落ちなかった気がする。
テレビでやる頃には劇場で見た人やブルーレイで見た人がこの話を咀嚼し、あちこちでレビューや分析をしているので確認する事もできるけど、劇場公開中はそういうものはまだまだだと思うからだ。

田舎暮らしが続いてたら、貧しいながらも好きな人(捨丸にいちゃん)と結婚して子供を産み、人生をまっとうしたかもしれないけど、養育費がたんまりあれば人間は欲をかくから、窮屈な都暮らしで人間の汚い部分を見せつけようぜへっへっへというのが月のやり方なんだろうか。

すげーまわりくどいわっ!!

今度はかぐや姫が月であの歌を口ずさみ、また第2第3のかぐや姫が生まれていくんだろうか。
実は室町時代や江戸時代にも月から来たかぐや姫がいたんだけど、彼らは月の思惑通りにいかず、降り立った流刑地で意外にも楽しく過ごし、人生を全うしちゃったんだろうか。
今ももしかしたら男たちを魅了してやまない何代目かのかぐや姫が、「はぁ?月?あんなつまんないところに、帰るわけないでしょ!」と地球ライフを謳歌してるのかもしれないねぇ。

ちなみにこの時アカデミー賞を取ったのは「ベイマックス」だった。
うん、納得。超納得。
ジブリが失ったものを「ベイマックス」は全て持ってたもん。

(2015/10/18 記)
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