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思い出のマーニー
2014/08/13(Wed)
不覚にも何度も泣きそうになってしまった。
いや、はっきり言おう。
ここ近年のジブリ作品の中では、私的に最大級のヒット作であった。
ひねくれ者のアンナのひねくれっぷりが気持ちいいくらいなので、厨房時代のこっぱずかしさを思い出しつつ、本当に楽しめた。
「耳をすませば」が「楽しい中学時代」を送った子に捧ぐ話なら、「マーニー」は「屈折した中学時代」を送った子に捧ぐと言えるだろう。

私自身は先輩にぺこぺこと頭を下げ、教師からは理不尽な不満や怒りをぶつけられ(時には出席簿や竹刀で殴られながら)、クソみたいなクラスメイトとクソみたいな時間を過ごした中学時代は思い出したくもないほど大嫌い(クラスの雰囲気がよかった2年生の時だけは楽しかったが)なので、アンナの屈折ぶりには共感するところが多い。
表面上はいい子ちゃんで礼儀正しく、なんの問題もないゆえに教師からは名前も覚えてもらえないガキだったことも、存在を消したがっている(とはいえ、先生に関心をもたれた時はほんのちょっとだけ嬉しそうだったのも思春期の矛盾)アンナに共感できることのひとつである。
私も大人が嫌いで、教師が嫌いで、家族が嫌いで、同世代のバカが嫌いで、毎日言い知れぬ怒りが渦巻いていたが、反面それは「思春期独特の痛いこと」であることも嫌というほどわかっていたので、おくびにも出さなかった。それは途方もなく子供っぽく、「恥ずかしい事」だからだ。

ツッパリやヤンキーのようにとことんバカになりきるか、勉強に打ち込んで学級委員を務める「まともな子」になれればまだよかったのだろうが、どちらも嫌だった。不真面目も嫌、真面目も嫌。まさに嵐の時代だったと今は苦笑と郷愁を持って思い出せる。
結果的に地元ラブのマイルドヤンキーにもなれず、真面目でまともな人生も歩めず、今こうしてアニメや映画のレビューなんぞを書いて悦に入っているのだから、若人諸氏は気を付けた方がいい。いつまでも自分を「別格」だなどと思っていると、別の意味で別格…というか、「社会的規格外」になってしまう。

主人公のアンナは喘息持ちだが、絵を描くのが得意な女の子。
札幌で養母(養父の存在が写真でしか見られないのだが、多分いると思われる。)と暮らしているが、自分を腫物のように扱う心配性の彼女に苛立ち、おとなし過ぎてクラスでもなじめず、「自分は(人の)輪の外側にいる人間」と考えて内にこもっている。

そんなアンナは療養のため、ひと夏を養母の親戚の家で過ごすことになった。
海が近い自然一杯の町で、明るいおばさんと芸術家肌のおじさんと暮らし始めたアンナは、ある日湿地の真ん中に佇む古い洋館を訪ねる。
寂れた洋館に、なぜか心惹かれるアンナ。
やがて彼女は、そこに金色の髪の女の子が住んでいると気づく…

物語はアンナの屈折ぶりを丁寧に追い、大人との距離感、同世代の女の子たちと親和性がとれない不器用さ、能面のような笑顔と怒りが渦巻く内面を描き出していく。

養母から「何かあったら教えて」と渡された絵葉書には、当たり障りのないことを書いて投函し、大好きなスケッチをして過ごす日々。
もしこれが本当の親子関係なら、男でも女でも「親に怒りを覚え、葉書を送りたくなければ送らない」という無視スタンスを取るだろうが、もらいっ子のアンナにはそんな事はできない。これこそ元来の意味の「テンションが高い」状態である。
アンナが珍しく「一緒にいて楽」と思えるのは、10年に一度しか喋らないから「トイチ」と呼ばれる無口な漁師。
彼は潮が満ちて湿地の洋館に取り残されてしまったアンナを助けてくれ、アンナは彼の舟に乗って日がな一日スケッチをするのだった。

「ふとっちょブタ!」
ある日、近所の仕切り屋の女の子とトラブルを起こしてしまったアンナは、帰るに帰れず、湿地に向かう。そこには乗り手のいないボートがあり、漕ぎ出したアンナは、ついにあの洋館で金髪の女の子と出会う。

天真爛漫で美しいマーニーに、アンナは心惹かれていく。
マーニーは、自分の事は誰にも秘密にして欲しいと言う。二人は夜のピクニックに出かけたり、マーニーの父や母が帰ってきて開く盛大なパーティーに参加したり、いたずらをしてばあやを閉じ込めたり、テラスでダンスを踊ったりする。
マーニーと過ごす時間が楽しいけれど、そういう時、なぜかアンナは現実を忘れてしまう。
そして現実が以前よりずっと楽しいと思えると、今度はマーニーのことを忘れてしまう…

アンナがマーニーと出会うまでが意外と長く、誰もいない洋館に火が灯っていたり、突然マーニーが現れたり、前半はかなりゴシックホラーっぽい。
アンナの心が不安定になったり、何かしら事件が起きるとマーニーが現れるので、時空が交差しているのかとか、「アザーズ」のように別の時間が同地点で重なっているのかとか、色々と勘繰りながら見るのも楽しい。

そもそもマーニーとの時間に心地よさを感じるアンナは、彼女の存在を不思議とは思っても、ことさらに真実を突き詰めようとはしない。
この不思議でふわふわした感覚を楽しむのもこの作品の醍醐味のような気がする。
まさに思春期のまっただ中で、「嵐の心」と「凪の心」を持つ子ならではの心象だと思うからだ。

やがてアンナはマーニーに、誰にも言えなかった心のうちをさらけ出す。
養父母は自分を引き取ってくれて、大切に育ててくれている。
けれど、自分を育てることで自治体からお金を受け取っている…
それがアンナの心に深く刺さったとげだった。
大人からしたら、子どもを一人育てるのにどれだけのお金がかかるかとか、自治体と繋がることは、いい意味では「子育てについて相談機関と繋がれる」、悪い意味では「虐待の監視」になっているとか、色々と多角的に考えることなど造作もない。
けれどアンナは「自分が本当のこどもなら、自治体からお金を受け取ったりしない」と、純粋に一つの真実(そして大人が一番突かれたくないところを)を突く。
アンナは聡い子だから、そうは言いながらも、お金を受け取るのは無理からぬことだともわかっているのだ。
だから養父母にあからさまに責めたり、怒りをぶつけたりはしない。そもそも、そんな事をして、表面上は問題のない養父母との関係がこじれることも恐れている。

けれど、自分が傷ついていることをわかって欲しいという心の叫びが、彼女を能面のようにし、怒り渦巻く心を作り、大人との微妙な距離感を取らせている。「自分は無条件で愛されている同世代の子とは違う」という違和感が、「外側にいる」と感じさせる。
こうしたアンナと養母の関係は、彼女を「誰もいない時、引き取ってくれた彼らこそ本当に優しい人たち」と擁護したマーニーだけでなく、きちんとした挨拶ができることや、包丁を上手に使えるアンナがちゃんと躾けられていること、アンナを引き取って大喜びで写真を送ってきていた養母の姿を、おばさんの口から語らせることで浮き彫りになっていく。
これによって狭まっていたアンナの視界が少しずつ広がっていく演出がなされているのはうまい。

この時点のアンナの怒りは、得体のしれないものへの怒りでしかない。
けれど次にマーニーの話を聞いたアンナは、体が震えるような怒りを感じ、義憤に駆られるのだ。
最初に窓から見えたマーニーは、金色の髪をブラッシングされていたが、それがやけに乱暴に見えた。おかっぱくらいに伸ばしたことがある人なら、絡んだ髪の毛をブラッシングされる時の泣きたくなるような痛みには覚えがあるはずだ。(私はブラシより痛い櫛が死ぬほど嫌いだった。正直、今でもトラウマで使いたくない。)
ばあやはわざとマーニーの長い髪を乱暴にとき、彼女に苦痛を与えて悦んでいたのだ。
パーティーの夜に会ったばあやは確かに、マーニーに対して「大切なお嬢様」ではなく、「聞き分けのない手のかかるバカな子」という憎々しげな物言いだった。
父母がいない時、ばあやにいじめられ、双子のねえやに脅され、マーニーはずいぶん可哀想な子供時代を過ごしていた。時にはねえやたちに面白半分に「おばけサイロ」まで連れて行かれそうになり、心に刻まれる恐怖体験をしていた。

完全に児童虐待の域。
「英国王のスピーチ」の主人公のジョージ6世も、忙しい国王夫妻の眼を盗んだ乳母に、兄エドワード共々苛め抜かれ、その結果吃音を発症したと言われているらしい。
乳母やベビーシッターに虐待を受けるというのは、子どもが何も言えないだけに結構多いんだろうなぁ…
自分より弱い者をいじめる心理って、生物には本能的にあるのかもしれないけど、だからこそ人間なら理性をもってやめられるわけで、それを平気でし続けるのはホントにいやなことだ。
とはいえ実はこの映画、予備知識として「マーニーの環境が最悪だった」ということだけは聞いていたので、私はもっと最悪なことを考えていた。
何しろ最初にお化けサイロが出てきた時、「ああ、マーニーは親に虐待されてあそこに閉じ込められ、食べ物も与えられず餓死か、幻覚を見て転落死した子なのかも…」なんて思っていたのだから<発想が暗いなっ!!

「あなたは…脅かされたりしたこと、ないの?」
「ないわっ!そんなこと、一度もっ!」
アンナのこの力強い一言が、養父母がどれほど彼女を大事にしているかの証明になるのだけど、義憤に駆られる彼女はもちろん気づかない。

サイロに行こう…そして、あんなものは怖くもなんともないとマーニーの心を救ってあげたい…アンナはマーニーの手を取り、嵐が来そうな中、サイロへと向かう。
このボロボロのサイロなんだけどさ…作画演出がマジで怖いんだが。
ねえやが逃げ帰った時の雷の夜も、この雨で水浸しの夕方も、作画が怖すぎる。
アンナはマーニーを心配するあまり怖がってないけど、見てるこっちは「おいおい、こんなとこ一人でよく入れるなアンナ」と冷や汗ものだった。こえーよ。
幼馴染のノブヒコの名を呼ぶマーニーをいぶかしみながら、彼女を抱きしめていたアンナだけど、マーニーはやがて、迎えに来たノブヒコと行ってしまう。
アンナを一人、そこに置き去りにして…

夢とも現ともつかない現象の中、雨の中をマーニーを探すアンナは倒れ、サヤカちゃんに助けられる。
この東京から来たまん丸メガネのサヤカちゃんが、またビックリするほどいい子なんだよ。
マーニーの日記を見つけ出した彼女は、都会っ子らしいフランクさで、ズケズケ入り込み過ぎない距離感で接するのも、きっと札幌っ子のアンナには合ってたんだろうね。
トイチとも気が合うみたいだし、お兄ちゃんもいい子みたいだし、出番が少なくてホントに残念。

熱にうなされ、アンナは夢の中で再びマーニーに出会う。

「なぜ私を置いて行ったの?なぜ私を一人にしたの!?」

アンナの怒りの根源はここにあった。
両親と祖母が亡くなって一人残されたアンナ。
自分を押し付け合う親戚の醜い言い争いを見せられ、「いらない子」であると肌身に染みてしまったアンナ。
養父母はひねくれた自分を扱いかねて、療養だなんて体のいい厄介払い。
そしてようやく仲良くなれたマーニーも、男の人と行ってしまった…

「ごめんなさい、アンナ!私を許すって言って!」

CMで流れるシーンはここ。
嵐の中、窓を開いて許してほしいと懇願するマーニー。
拳を強く握りしめ、怒りを湛えた瞳で彼女を睨みつけるアンナの答えは…
お見舞いに来てくれたサヤカから日記を受け取ったアンナは、マーニーに絵を贈ったヒサコさんに話を聞きに行く。

マーニーの幼馴染だったヒサコさんは、静かに「とても辛い話」であるマーニーの物語を語り始めた。
忙しい両親に放置され、お手伝いさんたちにいじめられて育ったマーニーは、やがてノブヒコと結婚した。
けれどノブヒコが病気で亡くなり、体を壊したマーニーは娘を全寮制の学校に入れ、サナトリウムに入ることになった。
母に見捨てられたと感じた娘とは生涯わかりあうことができず、娘はある日、夫と共に交通事故に遭って亡くなってしまった。
まぁこのへんで「ああ、なるほど」とマーニーの正体がわかるわけだ。アンナも当然そうなのかと思ったけど、意外にもこの時点ではわかってなかった様子。
娘が残した孫を引き取り、大切に慈しんだけれど、マーニーは翌年すぐに亡くなってしまう…
涙をこらえるアンナと、ぐしぐしと泣きじゃくるサヤカ。

その様子を見て、ヒサコさんは穏やかに微笑み、「あなたも、マーニーに会ったのね…」と言う。
幸薄い子供時代を過ごしたマーニー。家庭に恵まれず、愛する者を次々失ったマーニー。何も見届けられずにこの世を去ったマーニー。
けれどそんな哀しい人生を送ったマーニーの未来は、養母の手からアンナに届けられた。
養母が届けてくれたのは、アンナが施設からやって来る時、大切そうに握りしめていた古ぼけた写真。
写っているのは、見覚えのあるあの洋館。
そして裏面のサインは、アンナの祖母、「マーニー」の名前が書いてあった。

養母への絵葉書には、とても美しい水彩画が描かれるようになっていた。
トイチのボートにサヤカと一緒に乗ったアンナは、明るい表情で笑い転げていた。
おばさんに呼びかける声も大きくて元気で、遠慮のない、こどもらしい話し方になっていた。
お金を貰ってると正直に話してくれた養母にも、笑顔で答えることができた。
「ふとっちょブタ」にも、ちゃんと謝ることができた。
何より、ヒサコさんに頼子さんを「母です」と紹介することができた…

ひと夏の経験によって、一人の少女にこれほどまでにもたらされた変化をわからせてくれたラストに、本当に泣きそうになる。
何がアンナを変えたのだろう。
もともと賢くて精神年齢の高い子だからこそ、大人の欺瞞や綺麗事を見抜いてしまう。それはある意味とても不幸な事だ。
感受性が豊かゆえに、自分自身が作り出す感情の嵐に巻き込まれ、ほとほと疲れ切ってしまうのもとても苦しい。
彼女に変化を与えたのは、マーニーと出会ったことだけではない。
子供を育て上げた大らかなおばさん、芸術家肌でうるさい事なんか言わないおじさん、同じ「絵を描く」ことを趣味とするヒサコさん、そしてアンナについてうるさく詮索したり、好奇心丸出しでズケズケ入り込んだりしない都会っ子サヤカちゃん。
いつも黙って助けてくれ、ずっと喋らなかったトイチが、最後にぼそっとマーニーのことを話す演出もいい。
映画が始まった時、刺々しかったアンナの周りは、おろおろするばかりの養母を含め「敵だらけ」だったのに、終わってみればこんなに素敵な人たちが彼女を見守ってくれている。

清々しく締められたラストに、久々に映画を見てよかったと思えた。そもそもこの作品を見る気もなかったのに、見たら見たでここまで感動できた自分にもびっくりだ。
ジブリなので作画は問題ないのだが、本当にあのおばけサイロのシーンはおっかなかったわー
女優二人の演技も、アンナが「あっ」ばっかりだったり、発音にやや不安があるものの、そのたどたどしさが逆に多感な少女らしさをよく表現していてよかった。

ただやはり難点が一つ。そしてそれはこの映画最大の難点だ。
なぜ舞台を日本にしたのか?
米林監督は前作の「借りパクのアリエッティ」でも洋もの原作を無理やり日本風にアレンジして違和感出まくりだったが、なぜそこから学ばなかったのか…
もしかしたらプロデューサーの意向かなとは思うが、宮崎アニメでも半分は洋ものをやってるんだから、別に縛る必要はないと思う。
普通にイギリスを舞台にしていれば、アンナの瞳が青いという無理やりな伏線を入れることもなかったろうし、内容的にも舞台が日本で「なければならない」理由は見当たらなかった。
むしろ違和感が強くて、どうせならちゃんと外国を舞台にした方が無理がないなと思えた。ここだけはちょっといただけない。

私はこの作品を見て、ジブリのさらなる可能性を見た気がしたが、アニメ制作部門はこれで一旦閉じるのだという。
「耳をすませば」のように、「天才(宮崎)でなくてもいける」と思わせるに足る光るものを見たと思うのに、実にもったいない話である。
期待が低かったせいもあると思うが、本当にとても面白かった。より細やかな描写が多そうな原作も、機会があればぜひ読んでみたい。

「あなたが好きよ、マーニー!」

「宮崎以外のジブリなんて」といぶかしんでいる人、そして「おお振り」や「耳すま」や「ハイキュー」のような、明るく健全な思春期とは程遠い青春を送った人にこそ、ぜひ見てもらたい映画だ。
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