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かぐや姫の物語
2015/03/13(Fri)
アカデミー賞を逃したものの、水彩画のような優しい絵で、そのくせ高畑監督らしい、時には宮崎駿監督以上に毒のあるウィットの効いた「竹取物語」

光る竹の中から拾われた「タケノコ」は、「竹取物語」では早々に美しい姫になってしまうのだけど、この映画では村の子供たちと子供らしく触れ合いながら大人になっていく姿が、結構長いスパンで描かれる。成長は原作どおり早いんだけどね。

小さいころから可愛らしかった姫は、まだ未分化の時代には男の子のようにも見えるけど、うん、まぁ、「まんが日本昔ばなし」で村の子供たちが遊びまわる(その中のチビに大体すっぽんぽんがいる)雰囲気を思い出してもらえばよかろう。
オリジナルキャラの捨丸兄ちゃんに命を救われたりしつつ、姫は毎日楽しく、元気に育っていく。

なお、養育費は月からありあまるほど支払われていた模様。
囚人の生活費にしてはやけに高い気もするけど、人間を猿の群れに入れなければならなくなったら、せめて食べ物や家はちゃんとしてやろうと思うのかもしれない(ホントか?)

やがて翁は姫を連れて都に移り住み、立派な貴族の姫にすべく教育を始める。
ヨーロッパでは神聖ローマ帝国だのヴァイキングだのが野蛮で血腥いことこの上ない戦争ばっかりやってて、イスラム社会では歴史や哲学や航海術が発達し、中国では唐が衰えて諸国の力が増し、日本は貴族文化華やかなりし平安時代。
今から1000年近く前に、世界的にも政治も経済も文学もまだまだ全てが発展途上だった時代に、女流作家が流行小説を書いたなんて我々は当たり前のように思ってるけど(そして古典の時間には憎しみすら沸くけれど)、実は凄い事なんじゃね?と思う時代である。

姫は和風ロッテンマイヤーさんの指導の下、髪を長~く伸ばし、絵巻を見たり和歌を詠んだり、お歯黒の指南を受けておしゃれに精を出したりしながら、よりよい公達に見初められるべく、磨きをかけられることに。
もちろん、自由闊達に育った姫は不満が一杯。
だけど愛する翁の言う事ならと、同じく貴族暮らしに馴染めず、庭の東屋で草花を育てている媼に慰められながら我慢の日々。

CMでよく流れていた「かぐや姫の激走」は、こうした鬱屈した日々への怒りという事なんだろう。
大人になり、「かぐや姫」の名を受けた姫は、宴の最中に人々(基本男ばっかりだけど)の心無い言葉を耳にして、怒りのあまり走り出してしまう。
けれど、かつて住んでいた家はもはや自分の家ではなく、捨丸たちもいなくなっていた。
ここは夢なのか現実なのかわからないままだけど、月の人であるかぐや姫に不思議な力があってもおかしくはない。

しかしやがて姫の美貌を聞きつけた5人の公達が求婚にやってくる。翁はそれはもう大喜びだ。
翁を含め、出てくる男がかぐや姫の想いになんか何一つ考えを巡らせず、姫のためと口では言いながら野心や欲のために好き勝手な行動を取るので、かぐや姫はますます嫌気がさしてしまう。

そしてかの有名な「あの宝をモッテコイ」となり、貴族たちはニセモノを作ったり、別のものを持ってきたり、宝を取りに行って命を落としたりする。
姫は口八丁な連中に怒りを感じると共に、死人が出たことに嘆いてもいたけど、まぁ自分でそう言っちゃったからねぇ…
自分が物のように扱われてると怒るのはわかるけど、危険な宝探しに行けと言うのは限りなく未必の故意に近いわけで…
ならせめて一人ひとりともう少し時間をもって話してみれば、本性が見て取れたかもしれないしねぇ…

全ての求婚者を追いかえしてふさぎこむ姫に、ついに顎の長い帝までもが興味を持ち、襲い掛かってくる。
「竹取物語」では帝と別れなければならないとさめざめ泣いて贈り物を託したような気もするけど、タケノコはスケベなアゴ帝の行動にほとほと嫌気がさし、「ここにいたくない」と心から願ってしまう。

このことが浄化のサインで、かぐや姫は月に帰ることになり、あとは物語どおりなのだけど、最後に妻帯者となっていた捨丸にいちゃんに会ったり、翁と媼に自分の素性や事情を話したりして、「帰りたくない」と駄々をこねるシーンもあった。
でも月からチンドン屋さんを連れた大仏行列みたいなお迎えが来ると、翁たちが準備した警備も役に立たず、姫は記憶を失って月へと帰っていく。

さてこの映画の煽りといえばなんといっても「かぐや姫の罪と罰」がなんなのかということだった。
何しろ綺麗な女の子に群がる欲望まみれの男たちの業が深過ぎて、姫の罪と罰が霞んでしまう上に、はっきりと示されたり語られたりしたわけではなく、「考えるな、感じろ!」的な物語なので、感じ方はひとそれぞれだろう。
正直、私も見終わった時はポカーンとしてしまって、「え?で、罪と罰って何よ?」と首を傾げた。

タケノコが幼い頃から歌っていた歌は地球の歌で、以前、姫と同じように地球に流された誰かがつきで口ずさんでいたものだったとか。
感情もなく、心穏やかな月の民であるはずの姫は、その歌を聞き覚え、地球に憧れ、やがては「地球に行きたい」と熱烈に思うようになった。
月では、そんな事を考える事さえも重い罪なのだそうだ。だからそんな罪人は地球に流して、隣の芝生が本当に青いのか見て来いと言う事だったらしく、これが罰なのだとか。

えええええ…ぶっちゃけわけがわからん…

これを劇場で見て、エンドロールが終わって電気がつき、とっとと帰れと言われても、ずーっと腑に落ちなかった気がする。
テレビでやる頃には劇場で見た人やブルーレイで見た人がこの話を咀嚼し、あちこちでレビューや分析をしているので確認する事もできるけど、劇場公開中はそういうものはまだまだだと思うからだ。

田舎暮らしが続いてたら、貧しいながらも好きな人(捨丸にいちゃん)と結婚して子供を産み、人生をまっとうしたかもしれないけど、養育費がたんまりあれば人間は欲をかくから、窮屈な都暮らしで人間の汚い部分を見せつけようぜへっへっへというのが月のやり方なんだろうか。

すげーまわりくどいわっ!!

今度はかぐや姫が月であの歌を口ずさみ、また第2第3のかぐや姫が生まれていくんだろうか。
実は室町時代や江戸時代にも月から来たかぐや姫がいたんだけど、彼らは月の思惑通りにいかず、降り立った流刑地で意外にも楽しく過ごし、人生を全うしちゃったんだろうか。
今ももしかしたら男たちを魅了してやまない何代目かのかぐや姫が、「はぁ?月?あんなつまんないところに、帰るわけないでしょ!」と地球ライフを謳歌してるのかもしれないねぇ。

ちなみにこの時アカデミー賞を取ったのは「ベイマックス」だった。
うん、納得。超納得。
ジブリが失ったものを「ベイマックス」は全て持ってたもん。

(2015/10/18 記)
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