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映画INDEX
2037/10/12(Mon)
映画INDEX(2002~)
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キングスマン
2015/09/30(Wed)
「キック・アス」を世に送り出したマシュー・ボーンとジェーン・ゴールドマンの作品とあれば期待が高まる。

ロンドンにある高級紳士服店は、多くの貴族が世界大戦で命を落としたことで宙に浮いてしまった遺産を利用し、円卓の騎士になぞらえたどこの国家・民族・思想主義にも属さない、フリーランスのスパイ本部「キングスマン」だった!
まぁこの設定だけで「アホか」なんだけども、「英国王のスピーチ」で吃音のジョージ6世を演じたコリン・ファースがスタイリッシュな紳士スパイをやるなんて、一体どんな化学反応が起きるのか興味津々なのが人情というもの。

ガラハッドというコードネームを持つハリーは、かつて中東の某国で活動中、部下を失った。
彼は捕えた捕虜が持っていた手榴弾から、ハリーたち仲間を守るために人間の盾となり、命を落としたのだ。
この時共に活動していたランスロットも、現在は優秀なエージェントとなり、世界中で誘拐される要人救出のため、敵のアジトに潜入していた。

この時の「紳士ランスロット」のキレッキレのアクションは痛快。
誘拐犯をぶちのめし、ワインを受け止めてキメたところで「カッコいい!と(心の中で)拍手しようとした瞬間、なんと彼は頭から真っ二つに両断されてしまう。
そう、このテンポと残虐性がこの監督と原作者の持ち味なんだった!
犯人は鋭利な義足をつけた美女で、誘拐された博士をさらわせた張本人は、アメリカ人のIT富豪ヴァレンタイン。うん、眼帯をつけてないサミュエル・L・ジャクソンを久々に見た気がする。

欠員となった「ランスロット」を補充するため、ガラハッドはかつての死んだ部下の息子であるエグジーの元へ向かう。
エグジーは母の再婚相手とその仲間に暴力的に支配される家庭で育ち、すっかりダメダメなチンピラになっていたものの、ハリーはかつて海兵隊員で、子供の頃は体操選手を目指していた身体能力と、父性に飢えるが故にどこか素直さを残す性格に素質を見出し、ランスロット候補としてキングスマンの訓練に入らせる。

ここから物語は、ヴァレンタインが推し進める「地球と生物にやさしい人類撲滅計画」と、エグジーの訓練が同時進行していく構成に。
ヴァレンタインは各分野の研究者や、各国の権力者、大富豪などを誘拐したり勧誘したりして、自分の計画に次々引き入れている。引き入れられた人間は皆一様に耳の下に手術痕があり、最初に誘拐された科学者(なぜかスター・ウォーズのマーク・ハミルが演じている)など、ハリーが追い詰めて詰問しようとしたら脳味噌BANでお陀仏になってしまった。なむなむ。

一方エグジーの方は、貴族主義・エリート主義の連中にいびられながらも、女だてらに最優秀のロキシーと共に難関をクリアしていく。寝てる時にいきなり浸水して脱出方法を考えるとか、犬を育てるとか、スカイダイビングで一人だけパラシュートが開かないなど、色々な困難が準備される。
だけどエグジーは、絶体絶命のピンチだった線路に縛られて列車が来る難関はクリアしたのに、最後の試験である「育ててきた相棒の犬を撃つ」ことができず、不合格。
ランスロットはロキシーが継ぐことになって、ハリーを失望させてしまう。

ちなみにこの「犬を撃つ」は私にも絶対無理だが、実際には空砲だった。だからランスロットも犬は殺していない。
パラシュートも実際は全員についていたし、列車がくると縛られた線路ごと下におりる仕組みだった。
寝室の浸水時には逃げ遅れた仲間が一人死んだのだけど、実はこれも死んでなかったのだそうだ。(あー、けどこっちは死んでてもよかった気がするな…彼女には悪いけどさ。)

それにしてもやっぱりこの映画の中で一番驚いたのは、ヴァレンタインの策にはまったハリーが、教会での「実験」によって最強の戦闘力を見せたものの、そのまま射殺されてしまうということだった。
ええええええええええええええええ!?ハリー死んじゃうの!?ここで!?と、驚きを隠せなかった。
何かの間違いじゃないかとか、別人なんじゃないかとか、実は生きてましたって展開があるんじゃないかと最後まで考えてたけど、残念ながらそれはなかった。

この皆殺しバトルロワイヤルシーンはコミカルながら容赦なく、男も女も串刺し、ナイフ、銃、素手とひたすらバイオレンス。
ヴァレンタインの「人類撲滅作戦」は、彼が世界中にばら撒いた無料SIMカードを通じ、人間の凶暴性を引き出して互いに殺し合わせるという所謂「ダチュラ」作戦。こういう中二病丸出しの世紀末絶望小説、私も昔書いたわ~(恥)

ハリーの死を目の当たりにしたエグジーはアーサーの元へ向かうのだけど、その時異変に気づいてしまう。
ガラハッドの死を悼むアーサーの耳の下に、あの手術痕があったのだ。
ヴァレンタインの手がキングスマンの中にまで伸びていると知り、エグジーは指導教官のマーリンとランスロットの元へ。
SIMカードへの指令はヴァレンタインの私物衛星からなされると知り、ランスロットは衛星破壊、エグジーはアーサーになりすまして、ヴァレンタインが賛同者たちの安全のために用意した隠れ家に乗り込んでハッキングを行う事になる。

潜入劇はお約束とはいえ、ここで正体がバレてピンチに陥ったエグジーがマーリンにやってもらったことがあまりにもバカバカしい結果を招く事に。殺し合いを避けるため、耳の下にチップを埋めた人々がまるで花火のように脳味噌バーンで死んでいく。
それはもう完全に人間花火。BGMまでついちゃって悪ふざけにもホドがある。
とはいえ血飛沫や脳漿が飛び散るばばっちいものではないので、ギャグとして見られるかなという感じ。BGMのおかげで私は劇場でケラケラ笑ってしまった。バカなことするよね~、ホントに。

そしてついに、爆発チップを自分だけは埋め込んでなかった(ズルい!)ヴァレンタインとの最終決戦…の前に、義足の殺人者ガゼルが立ちはだかる。
それにしてもいつでも凶器となる義足で殺人ってのは考えたもんだ。あんなに激しく飛びまわってたら断端部は一体どうなってるのか心配だけども。
その間に皆殺し作戦は決行され、エグジーの母親もエグジーの妹を殺したくて、ランスロットの助言どおり鍵をかけた風呂場の扉を破壊しようとする始末。赤ん坊を殺そうとするってことは、この数分間(数十分間?)で力の弱い子供や年寄りが随分殺されたのかな?

全てが終わった後、エグジーはどうやら無事、新生キングスマンのエージェントとなったようだ。
コードネームは明かされなかったけど、やっぱりガラハッドだったのかなぁ…

とりあえず、人間花火とか、教会バトルロワイヤルとか、世界を救ってくれたら後ろの穴でヤってもいいと言う王女とか、相変わらずバイオレンスでお下劣なブリティッシュ・アクション・コメディ。
キック・アスよりはストーリーがしっかりしているので見応えがあるけど、キック・アスよりはギャグもグロも抑え気味なので、そのへんを期待していくと食い足りないかも。
でもスーツ姿の紳士アクションは優雅かつキレッキレでカッコよく、ガゼルを仕留めた靴の先に仕込んだ毒入りナイフや防弾傘など、英国紳士らしく、かつスパイらしい小物使いやギミックはとても楽しい。

父性に飢えていたエグジーがハリーという師匠を得て成長していく物語でもあるので、それも普通に楽しい。
しかしこの監督、親を殺さないと気がすまないのだろうか…

(2015/10/11 記)
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キック・アス/ジャスティス・フォーエバー
2015/08/15(Sat)
何の前情報もなく、「レディースデイの遅い時間に新宿で見られる映画」を検索したらたまたまヒットしたのが「キック・アス」だった。
そのまま調べるととても面白いと評判のヒーローものだというから、軽~い気持ちで見に行ったら、これまたものすごいスマッシュヒット作品だった。

今回、2を見るにあたってもう一度見たのだが、これは本当に傑作だ。グロいわエロいわで誰にでも薦められるものではないけど、「パルプ・フィクション」や「キスキス・バンバン」を楽しめる人なら絶対お奨め。そしてこういう映画が好きな人はぜひ友達になろう!

というわけで2にも期待していたものの、見そびれたままになってしまった。1回機内上映でやってたのだが、字幕も吹替えもなくて断念。英語ができないってホントに不便だわぁ…

さて、前作でキック・アスとしてヒット・ガールと共にビッグ・ダディの仇を取ったデイヴは、ミンディを師匠としてヒーロー修行に明け暮れる高校生になっていた…って、高校生!?え、デイヴって中学生だったの?!あれで?!マジか!
ケイティともまだつきあってるのかと思ったけど、途中でミンディに迫ってると誤解され、破局したっぽい。

そのミンディともヒーロー活動について意見がかみ合わず、デイヴはSNSで知り合った仲間たち共に街を守る自警団「ジャスティス・フォーエヴァー」に参加するようになる。
この自警団がこれまたインキチっぽい連中ばっかりで、ジム・キャリー演じるミリタリーオタクのストライプス少佐、全然重力を操れないドクター・グラヴィティ、デイヴと昼夜構わずセックスに明け暮れるナイト・ビッチ、戦力になるはずもないリメンバートミー夫妻、ケンカ上等どころか正体は太っちょのマーティだったバトル・ガイと、ポンコツばかり。
でも仲間と共に街を歩くデイヴは楽しそうで、ヒーローはかくあるべしとご満悦。
そんな彼を真面目一徹の父が心配しても、デイヴは聴く耳を持たない。

でもデイヴには魔の手が迫っていた。
前作でヒーロー仲間として偽りの友情を交わしたものの、結果的には「父親殺し」になったキック・アスを執拗に狙うレッド・ミスト。
父であるダミーコが死んだ後、過保護な母親と生きてきたレッド・ミストは、母の事故死をきっかけにSM装束(ママンの趣味らしい)の「マザー・ファッカー」として新たなヴィランを名乗る事に。
ってかお付の人が唯一まともでいい人だったのに、ムショに入ったイカれた叔父さんの命令で撃ち殺されちゃってホントに気の毒だった。つか、あっけなく人が死ぬのがキック・アスなんだけどね。

キック・アスがイカれたヒーロー仲間を集めていくことに対抗し、マザー・ファッカーもとんでもないヴィラン仲間を引き入れていく。
ボクシングでKOされた相手には「ブラック半殺し」(うう、「人種差別発言はやめろ」と言ってくれたお付の彼はもういない…)、名前負けの「チンギス半殺し」、本当にロシアから来た素人さんなので英語が喋れず、しかも大変優しい性格なので悪役演技に苦労したらしい「マザー・ロシア」、そしてマーカスとデイヴが秘密を共有している事にムカついて血迷ったトッドはアス・キッカーとしてこっちについている。このトッドのアホなミスが大きな事件を引き起こすんだけど、そういや最後まで誰も真相を知らんのかな?

そしてもう一人の主役ヒット・ガールことミンディは、ビッグ・ダディ亡き後、引き取ってくれたダディの親友マーカスからヒーロー活動を禁止されてしまう。
普通の女の子として生きることを望まれたミンディは、カーストのトップにいるブルックたちのグループに入り、居心地の悪いギャルズライフを送るものの、案の定意地悪と嫌がらせに晒されて怒り心頭。やっぱりミンディにはイカしたバイオレンスがよく似合う。

彼女たちへの復讐は、「ゲロゲリ棒」で引き起こされた、上から下から噴水のようにゲロと下痢便が飛び出すという世にも恐ろしいもの。これがまた「出しすぎだろっ!」とツッコみまくりたくなるほどの勢いで吹きだした。特に尻からピューッと出るゲリはシュール…
こわっ!ゲロとゲリが同時にってこわっ!

ギャグテイストが続くとヤバい展開になるのは監督が変わっても変わらないらしく、マザー・ファッカーのキック・アスへの復讐はハンパなく、まずはスティンガー大佐のアジトに乗り込んで彼を殺害してしまう。えええええ!?前作ではニコラス・ケイジが殺され、ジム・キャリーもここで退場しちゃうの?

ナイト・ビッチも襲われ(レッド・ミストはデリケートなので人前では勃ちませんでした…チーン)、デイヴの父に至ってはキック・アスだと名乗り出て逮捕され、留置所で殺されてしまう。これはヒドい。
偽者のキック・アスがデイヴの父だとうっかりばらしてしまったのがトッドというのもヒドい。

それにしてもデイヴの母親は脳出血、ビッグ・ダディは殴られた挙句焼き殺され、ダミーコは吹っ飛ばされた。マザー・ファッカーのママは交通事故、デイヴの父親はならず者になぶられて絞殺。なんでキック・アスの周りは皆親が死ぬねん!

そしてついに拉致られたデイヴを、再びヒット・ガールに戻ったミンディが見事な手腕で救い出す。
やっぱりヒット・ガールはカッコいい。クロエ・モレッツたんもすっかり育って子供の身軽さはなくなってしまったけど、その分パンチや蹴りには体重が乗るようになった。本人も生傷だらけながら、楽しんでアクションをこなしたそうだ。

最終決戦はマザー・ファッカーのアジトで、ジャスティス・フォーエヴァーの面々とヴィランの全面対決。
色々と変なヒーローやおかしなヴィランが一杯いるのが、Gガンの「ガンダム勢ぞろい」を思い出させて笑える。ああ、ネーデルガンダムが大量に飛び出して来た時の驚きよ…

マザー・ロシアVSヒット・ガール、マザー・ファッカーVSキック・アス。
容赦なくブン投げられまくったヒット・ガールがドーピングで勝つのはちょっと残念だったかな。前作では彼女が子供ながらに冷静さと冷徹さを持って、一切の容赦なく銃をぶっ放してやっつけるのが痛快だったから余計に。

水槽の上で戦うキック・アスとマザー・ファッカーは、何しろゴジラで主演を務めたアーロン・テイラー=ジョンソンが意外とマッチョなので、本人も「アクションはキツかった」と言っていたクリストファー・ミンツ=プラッツがかなうとは思えない。
面白い仕掛けや武器でもあればよかったんだけど、そうでもなかったな。なぜか水槽にはサメがいて、最後にそこに落ちたマザー・ファッカーは、赤く染まる水の中に消えていった…

全てが終わった後、マーカスとの約束を破ったミンディは、デイヴにお別れのキスをして街を出て行った。
ジャスティス・フォーエヴァーは解散し、デイヴは今日もキック・アスとしてヒーロー活動を続けている。

監督が変わったことで、やっぱり作品の色も変わったなぁという感じ。
ビッグ・ダディとは違って普通の人であるお父さんを殺しちゃう(しかもここに父と息子の葛藤を入れ込んでるもんだからちょっと後味が悪い)とか、そこには前作でいきなり母ちゃんが死んじゃうみたいなギャグっぽさがないから、シリアスなのかギャグなのか置くべき視点がぶれてしまう。

前作は何と言ってもヒット・ガールがキュートで強くてひたすら格好良かったんだけど、今回はそれもちょっと足りなくて、弱いんだけど硬いキック・アスも、一回り大きくなっちゃってそれっぽく見えなくなった。

全部がダメというわけではなかったし、ゲロゲリ棒みたいに面白いシーンもたくさんあったんだけど、前作を超えるものではないのは確か。やっぱり続編は難しいんだね。
今回は特に、2を見る前に1を見てしまったから余計に「あー、やっぱキック・アスはおもろかったなー」と比べてしまったしね。

ちなみにマザー・ファッカーはサメに四肢と急所を噛み千切られたものの、病院のベッドでイライラしながら生きていた。
うーん、3作目もやる気なのかな?

(2015/10/16 記)
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エスター
2015/08/15(Sat)
この娘、どこか変だ

原題は「鉄血のオルフェンズ」の元ではないかと言われている「Orphan(孤児)」なので、余計に最後のどんでん返しに「くそっ!やられた!」と思うこと間違いなし。

まず始めに、私は疑うことなく、最後の最後まで気づけなかった。
今思えばヒントはたくさんあったし、そもそもエスターの出どころが精神病院であることを考えれば言わずもがなだし、職業柄もそこに「ん?」と引っかかった事は事実である。
しかしその直感を信じるよりも、刷り込まれた情報によって「母親が精神病者で、精神病院生まれというオチだろう」と自己完結してしまったのだ。

3人目の子供を流産してしまったケイトは、毎晩のように血まみれの悪夢を見てうなされる。
そのことが原因でアルコール依存症になり、末娘で聴覚障害児のマックスが池に落ちる事故に遭ったり、夫とはセックスレスのままで家庭は冷え切り、あまり芳しくない状況で停滞している。

そんな状況を打開しようと、2人は養子を迎えることにする…ってそれが、日本人にはどうにもこうにも理解に苦しむトンでも発想だと思う。
「かーちゃんが不調→夫や子供たちとうまくいかない→家庭が暗く不健康」という構図なら、何よりまずかーちゃんに元気になってもらおうという発想に至ると思うのだけど、ここで「流産した子供の代わりに子供を一人引き取ろう」ということになるってのが全然理解できない。ペットロスじゃないんだからさぁ…なんで今いる子どもたちに、死んだ子への分も愛情を注げないわけ?わからんわ。

まぁやたら脆いかと思いきや、変なところで頑健な白人さんたちの精神構造は我ら有色人種には到底理解できないので、そういう結論に達したという事は理解し、二人は引き取る子供を捜しに児童養護施設へ向かう。
そこでジョンは、子供たちの輪に加わらず、一人で絵を描いているエスターという少女に会う。
彼女の独特の世界観が滲み出た絵をもとに会話する中で、ジョンはエスターの高い知性と落ち着きに魅せられ、それはケイトも同じ。年齢にそぐわないほどの賢さが彼女を可愛らしく見せ、引き取られた先が火事になったという境遇の不幸さは2人の同情を呼ぶ。

やがてケイトとジョンに迎えられたエスターは、兄ダニエルと妹マックスにも紹介され、5人家族として出発する事になる。
ダニエルは会ったその時からエスターが気に入らないらしく、その立ち居振る舞いを胡散臭そうに見て近づかない。
一方エスターは耳が聞こえず、喋れないマックスに優しく接し、手話も覚えてすぐに仲良くなる。
これからはうまくいくと安心する夫婦の単純な思いとは裏腹に、やがてエスターは本性を表し始める…

エスターは知能が高く、大人びている上に、感情を抑制する事もできる。
ダニエルが撃ってしまった鳩を、苦しませるのは可哀想だからと石で叩き潰せる。
エスターはクラシックな服装が好きで、首と手首にいつもリボンを巻いている。
服装や聖書を馬鹿にしたクラスメイトを奇声を発して牽制し、滑り台から突き落とすけど証拠はない。
エスターは風呂に入る時は必ず鍵をかける。
家族に対して鍵をかけるのは…と鼻白むケイトに、なら歌を歌ってるから無事を確認してと知恵が回る。
エスターはパパとママのセックスを見ても顔色一つ変えない。
気まずそうにいいわけに来たママに、「ただのファックでしょ?」と答えて動揺させる。

やがてエスターの行動に疑問を抱き始めたケイトが養護施設に問い合わせると、担当のシスターは彼女の出自について重大な秘密を掴み、それを知らせようとやってくる。何しろ彼女が引き取られる先の家族が皆、一様に命を落としているというのだから怪しい。
エスターにとって、そんな情報を持っている彼女は邪魔。
そこでマックスを利用して事故を誘発し、非道にも頭を叩き潰されてその場にポイ。エスターには人殺しなど朝飯前のようだ。

そんな中、ケイトはますますエスターへの不可解な疑念を強めていく。
流産した娘のために植えたバラをむしりとって花束にしたり、弾けないはずのピアノを弾いてみせたり、ジョンにばかりいい顔をして、自分で腕を折って(ぎゃあああ、痛い痛い!)味方につけたり…
カウンセリングに行っても、何もおかしなところはないと言う。いい子を演じたエスターはストレスでトイレの中で半狂乱だったけど。
彼女の聖書に挟まれていた写真から電話番号を割り出すけれど、それははるか遠いエストニアの精神病院で、エスターがいた養護施設とは何の関係もなさそうだった。
それにしても今時のアメリカでは聖書を持ってると「キリストオタク」になっちゃうのかね?あれにはちょっと驚いた。

クラスメイトの突落としといい、シスター殺しといい、エスターの本質にいち早く気づいたマックスは、「ママを殺す」と脅されてやむなく共犯者になり続ける。
ダニエルもそんな妹の様子にちゃんと気づいたのに、なぜここで手話で会話しないんだおまえは!
口話のできるマックスに声に出して話すもんだから、エスターに丸聞こえ。凶器を隠した木上の小屋で対決するも、火をつけられてダニエルは意識不明の重体になってしまう。ここはまだ「対等な子供同士」だと思ってるから「もー、バカだね」と思ってしまった。

昏睡状態のダニエルに止めを刺しにいくエスター。マックスは慌ててママに知らせるけれど、時既に遅く、ダニエルは窒息させられ心配停止状態…からかろうじて復活。ああ、よかった。やっぱ子供が死ぬのはちょっとねぇ…
そしてケイトは半狂乱でエスターにつかみかかり、周囲から取り押さえられてしまう。

ジョンとマックスと家に帰ったエスターは、化粧を施し、セクシーな格好をして、ジョンにワインを勧めて誘惑する。
もうね、ここは非常に気持ちが悪い。もういい年をしてるのに、子役から知ってる安達祐美のおっぱいやセクシーポーズを見ると超気持ち悪いみたいなそんな気持ち。
さすがにこれにはジョンも怒り出し、エスターを叱り飛ばしてやめさせる。よかった、お父さんまともで…

一方、鎮静剤を打たれてまだ意識が朦朧としているケイトの元にはあの精神病院から電話が入る。
それは衝撃の、いやホントに衝撃の宣告だった。

「エスターという娘は、子供ではありません。こちらに入院していた、とても危険な患者です。」

えええええ!?

33歳になるリーナは、特殊な病気で大人になれない体型を利用して子供になりすまし、養子縁組した家族を惨殺していた。
しかもその動機は金や財産というより、その家の主人に懸想し、性欲ムラムラで迫っては拒否されるという「いや、それロリコンじゃないなら当たり前でしょ」という困った動機だったようだ。(パパンがウディ・アレンだったらよかったのにね!)
事実、エスターの部屋にはブラックライトでしか見えない絵が壁中に描かれているのだが、殺人や放火に混ざって、男女のイトナミが大きく描かれ、私の趣味ではないが前衛的エロ絵と見えなくもない。どんだけ性欲強いんだこいつ…

ケイトが家に辿りついた時には、エスターを拒んだジョンはめった刺しにされて冷たくなっていた。
しかし彼女にはまだマックスがいる。
娘を助け出さねば!ということで、いよいよエスターこと、殺人鬼リーナと対決の姿勢です。

このあたりでエスターは化粧を落とし、髪をひとつに縛って、子供だけど33歳らしい立ち居振る舞いを始める。
いくら子供に見えても、実際は33年生きてるので肌の衰えや体型のゆるみ、体力の衰えは始まっている模様。何より一番危険なのは歯。そりゃ9歳の子に親知らずを含む永久歯が全部生えてたらヤバいから歯医者に行きたがらないわけだ。(まぁ私は恥ずかしながら顎が小さ過ぎて未だに親知らずは生えてませんがね…)
とはいえもっと年上のケイトほどトシではないので、元気に凶器を振り回して襲ってくるエスター。当時11歳か12歳くらいのイザベル・ファーマンが、これまた賢そうなエスターと凶悪な殺人鬼のリーナを演じ分けててうまい。

せっかく警察が来てくれたのになんで外へ飛び出すんだというツッコミをよそに、最後はババア2人が冷たい池の中で足の引っ張り合い。
足を掴むエスターしぶとい、振りほどこうとするケイトも負けない、マックスはなす術もなく泣いている(どんだけトラウマになるんだ)

「助けて、ママ」
「あんたなんか、私の子供じゃない!」

ついにケイトの蹴りがエスターの顎に決まり、彼女の首が嫌な方向に曲がって勝敗が決する。
この後、「あの時、私は確かに彼女の事を蹴り落とした。けれどその後警察がいくら池をさらっても、エスターの死体は出てこなかった…」だったらめっちゃ面白いと思ったんだけど、そのへんは有耶無耶のまま終わってしまった。

いやぁ…オーメンのダミアンのような、「全てを把握し、超越した子供」なのではなく、病気の大人で、殺人鬼だった、というどんでん返しとは思わなかった。
エスターは凶暴性のある患者で、長い間拘束されていたため、首と手首に傷があり、リボンで隠していたのだそうだ。
ダニエルがエスターを胡散臭く思ったのは、同じ子供の「匂い」がしなかったからだろう。パパとママに言ったって信じないだろうし、夜中に「おまえのチンコ切るよ」とビビらされ、チビらされて可哀想に。

とにかくこの映画は、エスターがどうこうより、そもそもケイトがなぜ養子を受け入れようと思ったのかってのがネック。
男は単純なのでジョンがその考えにたどり着いちゃったのはともかく、養子なんか迎えて、これから難しい年齢になる実子たちへの影響や、実子にきめ細かく手が回るかとか、そういう事は何も考えないのかね?ホント、日本とは感覚が全然違うんだろうなぁ…

大人になれない病のエスターも哀れではあるけれど、もしかしたら精神病院での処遇も非人道的だったのかもしれないけど、わかってるだけで7人も殺してるんだからやっぱり同情の余地はない。
となると、この家での惨劇は明らかにケイトが招いた事態だったなぁと思う。

そして「ホラー映画が見たい」と思って借りたはいいが、結果的にやっぱり「一番怖いのは人間」という映画だった。
ちなみにディスクには別バージョンの結末もあって、ラストシーンで銃を構えた警官隊が突入してくると、傷だらけの顔に化粧をして、いつものように少女の服を着たエスターが「こんにちは、私はエスターよ」と挨拶して階段から降りてくるおっかねぇバッドエンドが収録されていた(こえぇ…)

でも私はやっぱり「死体が見つからない」がいいな(それもこえぇ…)

(2015/10/12 記)
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ダンシング・ハバナ
2015/06/02(Tue)
このタイトルを見て、その昔「ダーティ・ダンシング」って映画があったなぁと思い出したのだが、コンセプトは同じなんだそうだ。

時代はキューバ革命直前の1958年。
一家でハバナにやって来たケイティは、街でサルサを踊るハビエルと知り合い、ダンスのパートナーになる。
だけどアメリカに移住する事を夢見るハビエルは、ケイティと仲良くなった事でホテルを解雇されてしまい、資金調達もままならなくなってしまった。
そこで2人は高額な賞金目当てにダンスコンテストに出るため、さらなる特訓を重ねる事になる…という、まさに80年代っぽい展開になっていく。

舞台はアメリカが好き勝手やってた頃のハバナ。
街は華やかで自堕落で、反面とてもいかがわしい。
ケイティが金持ちのアメリカ人のボンボンと行くホールやレストランと、ハビエルが踊るダンスキングとダンスクイーンがいる店は雰囲気が全く違う。それはもう、ボンボンが身の危険を感じて慌てて逃げ出すくらいに。

本家「ダーティ・ダンシング」に出演したパトリック・スウェイジがちょい役のトレーナーとして、ケイティにアドバイスをしてくれるのはご愛嬌。
そもそもケイティはダンスの名手だった父と母の血を継いでいるってことになってるので、素人がダンスを始めるわけではない。
ロモーラ・ガライは綺麗だが、かなり大柄なのでちょっと体が重そうに見えてしまう。
ダンスは普通にうまいんだけど、ディエゴ・ルナが少年らしさを残してて細身のせいか、インパクトが強過ぎるんだよなぁ、これぞ肉食白人女性って感じで。
女ばっかり悪目立ちしちゃうというかなんというか…

反抗期の妹(この子が結構ツンデレで可愛い)に協力してもらい、父と母に内緒で出たコンテストでは見事決勝まで勝ち残るんだけど、なんとその時、キューバ革命が勃発してしまう。
もちろんコンテストはそのまま終了となり、アメリカ人たちは不安に駆られながらホテルに缶詰で、事態の収拾を待っている。

そんな中、ケイティはハビエルの元へ向かい、海岸で彼と一夜を共にする。
そして国が変わり、世界が変わってしまった今、ハビエルはアメリカに行くのではなく、このまま祖国で頑張ってみようと決意する。
2人は別れ、その後、国交の断絶によって会うことはできなくなった。

ちょっと苦いひと夏の恋(キューバ革命は冬だったけども)という感じで、サラッとした物語。
私はサッパリなのだが、サルサや音楽が好きな人にはいいのかもしれない。

なお、ディエゴ・ルナは最近どっかで見たな~と思ってたら、エリジウムで私が「いいヤツじゃん!」と思ってたフリオだった。

(2015/10/17 記)
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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
2015/05/12(Tue)
ライ・クーダーが制作したアルバムを元に、参加しているキューバのミュージシャンが自分の事を語る映画。
つい最近アメリカとの国交が正常化したばかりのキューバの風景、街の様子、ゆったりとした時間がロード・ムービーのように流れていく。

ある人は幼い頃音楽に出会ったいきさつを、ある人は華やかだった「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という実在したクラブの想い出話を、ある人は革命の事を語る。

ラストはカーネギー・ホールの公演で終わるのだけど、NYを散歩する彼らがこれはなんだあれはなんだとウィンドウショッピングを楽しむ姿がちょっと印象的だった。

特にストーリーはないので語ることもないのだが、16年の時を経て続編が作られるという話も聞いた。
ハバナはまるで時が止まったような街で、海風は吹いてるけど暑そうだなぁと思った。

(2015/10/16 記)
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イントゥ・ザ・ウッズ
2015/03/30(Mon)
赤ずきんはじめ、登場人物が歌い上げる「Into the Woods!Into the Woods!Into the Woods!」が印象深いミュージカル映画。…というか見どころ聞きどころはこの歌だけというか…

全米公開のニュースで見た赤ずきんがあまりにもイメージどおりだったので面白そうだと思ったのだけど、もともとは演劇ということで、ストーリーは荒唐無稽で一貫性がなく、思ってた物語とはちょっと違った。
パン屋の夫婦が呪いを解いて子どもを授かるためには、「血のように赤いマント」「雪のように白い牝牛」「トウモロコシのような髪」「金色の靴」を集めなければならない。
というわけで、主人公はメリル・ストリープ演じる魔女に呪いをかけられたパン屋の夫婦で、ほかに赤ずきん(赤マント担当)、シンデレラ(金色の靴担当)、ラプンツェル(トウモロコシ髪担当)、ジャック(白牛担当)が登場。

ジョニー・デップが赤ずきんを狙う狼だけど、私が大好きなカルトムービー「狼の血族」のような色気はなく、赤ずきんもすげー大食いの奇声キャラ。
ジャックは貧乏であまり頭がよろしくないので、白い牝牛の売り方がイマイチわからない。
シンデレラに至っては毎晩舞踏会に行くのはいいのだが、全速力で真っ暗な森を駆け抜けて逃げ去る韋駄天娘。
魔女に育てられているパン屋の妹でもあるラプンツェルは童話のまんまで、シンデレラの王子の弟と懇ろになる。

登場人物がそれぞれ勝手気ままで、そんな連中からひとつずつグッズを集めなければならないのだからパン屋も相当苦労する。
でもパン屋もずるいんだよね。おつむのよくないジャックからは豆と引き換えに牝牛を手に入れ(この豆が「豆の木」となって巨人の国に繋がる)、赤ずきんからはずきんを、シンデレラからは金の靴を盗もうとするし、ラプンツェルのことも王子のふりして騙す。
こいつら騙すか盗むかしかしてねーよ!(しかもほぼ初見は失敗)

まぁ紆余曲折を経てパン屋はなんとか無事にグッズを集めることに成功し、魔女が若返ったので呪いは無事に解かれ、子供を授かる。グッズはインチキ(トウモロコシのヒゲ)でもよかったり、牛が死んでてもよかった(生き返らせられるから)とか、どうも腑に落ちないんだが、そこはまぁいいだろう。許す(エラそう)

シンデレラは逃げるのをやめて王子と結婚し、国を治めることに。
巨人の国へ行ったジャックは宝物をせしめた上に追ってきた巨人を撃退する事に成功し、金持ちになる。
赤ずきんは狩人ではなくパン屋に狼の腹から助け出されて、まぁいつも通り。
魔女に追放されたラプンツェルも失明した王子の弟の眼を治すことに成功した。

こうして一旦ハッピーエンドかと思わせたんだけど、その後さらなる「えええ?ないわ~」という展開に向かう。
豆の木の上に住んでいた巨人女が、夫を殺したジャックに復讐しに降りて来たからだ。
おかげでジャックの母親は家ごと潰されて死んでしまう。
ついでに赤ずきんの母親とおばあちゃんもお陀仏に。
国の危機だというのに、シンデレラの夫は新妻に飽きたのかパン屋の妻と不倫に走り、パン屋の妻は崖から落ちて死んでしまう。
シンデレラは不実な夫を見捨て、ラプンツェルは母だと思っていた魔女を見捨てて王子の弟と出奔してしまう。
なんかもう、急転直下過ぎるよ!

魔女も絶望して沼の底にひきずりこまれてしまい、それぞれ独りぼっちになったおとぎ話の主人公たちと森の奥で合流したパン屋の夫は、「立体機動装置を使い、巨人の頭より下、うなじにかけての縦1m横10cmを削ぎ落とすのだ!」(BGMはもちろん「♪Seid ihr das Essen ?Nein, wir sind der Jäger !♪」)

…とは言わず、石をぶち当てて殺そうと提案する。
その結果、巨人のおっかさんはそのまま岩に当たってお亡くなりになった。
ってか早いな、決着つくの!

豆の木を登ってきたジャックを人食いの夫から匿ってくれたんだし、もともとは親切な人だったと思うので夫の死に逆上したことには同情できるのだけど、とはいえラスト直前になって「第2部 進撃の巨人」になっても困るので仕方がない。

妻を失ったパン屋、夫を見捨てたシンデレラ、母を失った赤ずきんとジャックは、赤ん坊を含めて5人で暮らす事になった。
えええええ…何それ…わけがわからない…

私はグリムやペローのおとぎはなしの暗喩がとても好きなので、これらをモチーフにした映画(特にちょっとダークだったり色っぽかったりすると嬉しい)にはいつもいつも大期待してしまうのだけど、いつもいつも大きく裏切られてしまう。「ブラザーズ・グリム」とか、「マレフィセント」とか、「赤ずきん」とか、「エバー・アフター」とか、古いところだと「スプラッシュ!」とかもそれ。(そのまんまの童話を映画化するんじゃなく、何かアレンジされてるものってことで。見てないけど「ヘンゼルとグレーテル」とか、「スノー・ホワイト」とかも該当するかな)裏切られなかったのは前述の「狼の血族」くらい。
始まってすぐ、これはまたしても私の勘違いだったなと思ったけど、それこそもうInto the Woods。

演劇だったらライトや背景での舞台効果や、音楽や歌で盛り上げて暗転→場面転換とかありだけど、映画だとどうもねぇ…
非常に印象的な「Into the Woods!」はよかったけど、本当にそれくらいかな、評価できるのは。

それにしてもこの物語、ラプンツェルはパン屋の妹なのに、この仲間たちとは何の関係性もなかったのが気になる。
そして何より一番こっぱずかしかったのは、王子と弟が滝の上で愛する人に恋焦がれる気持ちを歌い上げるシーンで、胸をはだけて絶叫するところであった。

何やってんのあんたたち…

(2015/10/17 記)
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ももへの手紙
2015/03/22(Sun)
うねうね動く作画はすごいが、物語的には地味な映画。
映画館で予告を見たような気がするが、なんだってこんな深夜に放映するんだTBS…

主人公のももは、年相応のすんなりした体つきに、ちょっとひねくれた現代っ子で、可愛げがないところが可愛い。
ももの父親は海洋学者で、海での事故で死んでしまった。
ももは未亡人となった母親と一緒に彼女の故郷へやってきたんだけど、都会っ子がいきなり田舎暮らしに慣れるはずもなく、疎外感をひしひしと感じながら鬱々と過ごしている。

それに、ももには悩みがある。
それはお父さんと喧嘩をした時が、お父さんに会えた最後の日だったということ。
そしてお父さんは「ももへ」とだけ書かれた手紙を残していて、それが何を言いたいのか、わからないこと…

そんなももの前に、天から落ちてきた「見守り組」という3匹の妖怪が現れる。
この後はまぁ、お約束的に、やつらの正体が何なのかわからないがゆえの大騒動が起こるわけだ。
それまで鬱々していたももがぎゃーぎゃー騒ぎながら島中を逃げ回ったりとか、ホント、お約束展開。

この時、島に住む陽太って少年が助けてくれたりして、またこの陽太がいっちょまえに都会っ子のももに気を使ってくれたりして(祭の船をみせてくれたり。会話はないけど)いいヤツなんだよね。
騒ぎの後で、妹と一緒に仲間とやってる橋からの飛込みに誘ってくれたりもする。さすがにワイルド過ぎてももには無理だったけど、この陽太とウミの兄妹は田舎者のクセに繊細な心遣いができるようで、後日、2人しかいないからとまた飛び込みにさそってくれたりするのだ。いい子たちだなぁ…

やがてももは、妖怪の正体を知る事になる。
西田敏行演じる大顔面のイワ、山寺宏一演じる皮肉屋のカワ、そしてチョーが演じるとっぽいマメ。
その後、通行手形を壊す壊さないで揉めつつも、なんとなく折り合っていくももと妖怪たち。

盗んできたものを差し出して怒られたり、寝そべってテレビを見てる姿にあきれたり、女子小学生と小汚いオヤジの攻防は続く。
この後もイノシシを追っかけたり、大切な父からの手紙を改竄して空へ送っちゃったり、なんだかんだとあるんだけど、全体的に長い。
色々あることはあるけど決定打がないとでも言おうか…

ま、決定打となるのはいろいろな事を経て、妖怪たちが屋根裏に隠していた島中の女子小学生から盗んだ物品を見た母親が、ももに問い質した時かな。
「よーうかーいの~せいなのね♪」という答えでは当然許してもらえず、ももは母親に殴られてしまう。正真正銘、妖怪のせいなのにねぇ…

家を飛び出したももは、ばったり出会って、慰めようとしてくれた陽太(本当にいい子。もも、もう結婚しちゃいなYO!)に「私にはお父さんがいない」と八つ当たり。
でもさすがに色々と悪いと思ったのか、ももはイワたちに、父親と喧嘩をしたまま別れてしまった事を告白し、思いのたけを吐き出す。
一方妖怪たちも、自分たちが天の遣いであり、亡くなった人の代りに残してきた人を見守るお役目があると告げる。

ここまでも大分冗長だったけど、この先もかなり冗長。
喘息の発作を起こした母のため、台風の中を医者を呼びに行くって言うんだもん。
いやいや、危ないし。
喘息も本人は苦しいし、重積発作を起こせば怖いけど、今のところ生死に関わるほどじゃないんだし。

そう思ってる間にももは飛び出し、なんやかんやで妖怪大集合が起き、ももは医者のいる隣島へ到着した模様。
で?
どうやってあの嵐の中を医者を連れてきたわけ?母親が寝てるのってどこの病院?(無表情で淡々と聞く)

見守り組の3人は天に帰ることになり、ももは父親に手紙を届けて欲しいと駄々をこねる。
本当はダメらしいんだけど、すったもんだの挙句(こういう表現ばかりなのは、全てが冗長なので端折るため)3人は手紙を携えて天に帰る。

そして祭の夜、母と共に海に浮かぶ藁船を見ていたももは、父からの手紙を受け取った。
そこには「よく頑張った、お母さんをよろしく」というようなことが書いてあって、ももからの手紙がちゃんと届いたことがわかったのだった。

いやー、作画は凄いけど、内容的には「ちょっと!ちょっとちょっと!」とチョップしたくなるような映画だったね。
妖怪がももの友達になってくれるというわけでもなく、むしろ妖怪の窃盗癖のせいで親子の仲がこじれるとか、やたら長いイノシシとの攻防とか、妖怪のドジのせいで陽太とウミとの約束をすっぽかしちゃったり、父親の最後の手紙を天に送られちゃったり、なんかこう…ダメな点しか見当たらないような気がするんでござるよー

それに、いくら我々が外連味たっぷりのアクション満載の宮崎アニメが好きでも、小学生の女の子が台風の中を造りかけの橋を渡る必要も、緊急性もないと思うのね。
王蟲が突進してくるとか、バルスが発動したとか、時計台でプチッとなったらローマ時代の遺跡がコンニチハとか、ギガント発進とか、そういう危機とは全然違うと思うのね。

妖怪たちも、体を消すのがヘタクソだったり、ドングリをぽろぽろ落としたり、もふもふしてて大あくびしたり、さらにもふもふして飛びまわるバスだったりするならともかく、物を盗んだりバイクに勝手に乗ったりイタズラしたりじゃ、いまひとつ心を寄せられないのよね。

うーん…素直になればももは可愛い子だし、寡婦になっちゃったお母さんも頑張ってるので(郵便局員といい仲になるのかどうかはわからんが、なんとなく違う人と再婚しそうな気がする)、問題はない。
何より陽太がいいヤツなので、今後は是非いい男に育って、2人にはどんどん仲良くなってもらいたい。
それくらいなんだよなぁ…褒められるのは。

主役の美山加恋は上手だったし、何よりお母さん役の優香がとっても上手で、プロの声優がやってるのかと思った。宮迫も上手いし美声なのでビックリしたけど、役者やタレントや芸人にはたま~にこういう勘のいい人がいて驚くよ。

作画は本当に凄いけど、作画しか褒められない映画かなぁ、残念ながら。

(2015/10/17 記)
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かぐや姫の物語
2015/03/13(Fri)
アカデミー賞を逃したものの、水彩画のような優しい絵で、そのくせ高畑監督らしい、時には宮崎駿監督以上に毒のあるウィットの効いた「竹取物語」

光る竹の中から拾われた「タケノコ」は、「竹取物語」では早々に美しい姫になってしまうのだけど、この映画では村の子供たちと子供らしく触れ合いながら大人になっていく姿が、結構長いスパンで描かれる。成長は原作どおり早いんだけどね。

小さいころから可愛らしかった姫は、まだ未分化の時代には男の子のようにも見えるけど、うん、まぁ、「まんが日本昔ばなし」で村の子供たちが遊びまわる(その中のチビに大体すっぽんぽんがいる)雰囲気を思い出してもらえばよかろう。
オリジナルキャラの捨丸兄ちゃんに命を救われたりしつつ、姫は毎日楽しく、元気に育っていく。

なお、養育費は月からありあまるほど支払われていた模様。
囚人の生活費にしてはやけに高い気もするけど、人間を猿の群れに入れなければならなくなったら、せめて食べ物や家はちゃんとしてやろうと思うのかもしれない(ホントか?)

やがて翁は姫を連れて都に移り住み、立派な貴族の姫にすべく教育を始める。
ヨーロッパでは神聖ローマ帝国だのヴァイキングだのが野蛮で血腥いことこの上ない戦争ばっかりやってて、イスラム社会では歴史や哲学や航海術が発達し、中国では唐が衰えて諸国の力が増し、日本は貴族文化華やかなりし平安時代。
今から1000年近く前に、世界的にも政治も経済も文学もまだまだ全てが発展途上だった時代に、女流作家が流行小説を書いたなんて我々は当たり前のように思ってるけど(そして古典の時間には憎しみすら沸くけれど)、実は凄い事なんじゃね?と思う時代である。

姫は和風ロッテンマイヤーさんの指導の下、髪を長~く伸ばし、絵巻を見たり和歌を詠んだり、お歯黒の指南を受けておしゃれに精を出したりしながら、よりよい公達に見初められるべく、磨きをかけられることに。
もちろん、自由闊達に育った姫は不満が一杯。
だけど愛する翁の言う事ならと、同じく貴族暮らしに馴染めず、庭の東屋で草花を育てている媼に慰められながら我慢の日々。

CMでよく流れていた「かぐや姫の激走」は、こうした鬱屈した日々への怒りという事なんだろう。
大人になり、「かぐや姫」の名を受けた姫は、宴の最中に人々(基本男ばっかりだけど)の心無い言葉を耳にして、怒りのあまり走り出してしまう。
けれど、かつて住んでいた家はもはや自分の家ではなく、捨丸たちもいなくなっていた。
ここは夢なのか現実なのかわからないままだけど、月の人であるかぐや姫に不思議な力があってもおかしくはない。

しかしやがて姫の美貌を聞きつけた5人の公達が求婚にやってくる。翁はそれはもう大喜びだ。
翁を含め、出てくる男がかぐや姫の想いになんか何一つ考えを巡らせず、姫のためと口では言いながら野心や欲のために好き勝手な行動を取るので、かぐや姫はますます嫌気がさしてしまう。

そしてかの有名な「あの宝をモッテコイ」となり、貴族たちはニセモノを作ったり、別のものを持ってきたり、宝を取りに行って命を落としたりする。
姫は口八丁な連中に怒りを感じると共に、死人が出たことに嘆いてもいたけど、まぁ自分でそう言っちゃったからねぇ…
自分が物のように扱われてると怒るのはわかるけど、危険な宝探しに行けと言うのは限りなく未必の故意に近いわけで…
ならせめて一人ひとりともう少し時間をもって話してみれば、本性が見て取れたかもしれないしねぇ…

全ての求婚者を追いかえしてふさぎこむ姫に、ついに顎の長い帝までもが興味を持ち、襲い掛かってくる。
「竹取物語」では帝と別れなければならないとさめざめ泣いて贈り物を託したような気もするけど、タケノコはスケベなアゴ帝の行動にほとほと嫌気がさし、「ここにいたくない」と心から願ってしまう。

このことが浄化のサインで、かぐや姫は月に帰ることになり、あとは物語どおりなのだけど、最後に妻帯者となっていた捨丸にいちゃんに会ったり、翁と媼に自分の素性や事情を話したりして、「帰りたくない」と駄々をこねるシーンもあった。
でも月からチンドン屋さんを連れた大仏行列みたいなお迎えが来ると、翁たちが準備した警備も役に立たず、姫は記憶を失って月へと帰っていく。

さてこの映画の煽りといえばなんといっても「かぐや姫の罪と罰」がなんなのかということだった。
何しろ綺麗な女の子に群がる欲望まみれの男たちの業が深過ぎて、姫の罪と罰が霞んでしまう上に、はっきりと示されたり語られたりしたわけではなく、「考えるな、感じろ!」的な物語なので、感じ方はひとそれぞれだろう。
正直、私も見終わった時はポカーンとしてしまって、「え?で、罪と罰って何よ?」と首を傾げた。

タケノコが幼い頃から歌っていた歌は地球の歌で、以前、姫と同じように地球に流された誰かがつきで口ずさんでいたものだったとか。
感情もなく、心穏やかな月の民であるはずの姫は、その歌を聞き覚え、地球に憧れ、やがては「地球に行きたい」と熱烈に思うようになった。
月では、そんな事を考える事さえも重い罪なのだそうだ。だからそんな罪人は地球に流して、隣の芝生が本当に青いのか見て来いと言う事だったらしく、これが罰なのだとか。

えええええ…ぶっちゃけわけがわからん…

これを劇場で見て、エンドロールが終わって電気がつき、とっとと帰れと言われても、ずーっと腑に落ちなかった気がする。
テレビでやる頃には劇場で見た人やブルーレイで見た人がこの話を咀嚼し、あちこちでレビューや分析をしているので確認する事もできるけど、劇場公開中はそういうものはまだまだだと思うからだ。

田舎暮らしが続いてたら、貧しいながらも好きな人(捨丸にいちゃん)と結婚して子供を産み、人生をまっとうしたかもしれないけど、養育費がたんまりあれば人間は欲をかくから、窮屈な都暮らしで人間の汚い部分を見せつけようぜへっへっへというのが月のやり方なんだろうか。

すげーまわりくどいわっ!!

今度はかぐや姫が月であの歌を口ずさみ、また第2第3のかぐや姫が生まれていくんだろうか。
実は室町時代や江戸時代にも月から来たかぐや姫がいたんだけど、彼らは月の思惑通りにいかず、降り立った流刑地で意外にも楽しく過ごし、人生を全うしちゃったんだろうか。
今ももしかしたら男たちを魅了してやまない何代目かのかぐや姫が、「はぁ?月?あんなつまんないところに、帰るわけないでしょ!」と地球ライフを謳歌してるのかもしれないねぇ。

ちなみにこの時アカデミー賞を取ったのは「ベイマックス」だった。
うん、納得。超納得。
ジブリが失ったものを「ベイマックス」は全て持ってたもん。

(2015/10/18 記)
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LUCY/ルーシー
2015/02/13(Fri)
この映画はとても短い。
だから台湾から帰る時でも、十分見られる!と思って見たのだが、一番評価できる点は、この「短い」ことである。

これがもし2時間以上の大作だったら、内容的にどうなのと怒り出して飛行機がUターンする事態だが(なるか!)、何しろ短いので決着が早く、「うん、ま、こんなもんだろ」と思える。
そして結末についても、我々には既に「ネットは広大だわ」と肉体を捨てて電脳と観念の中へダイブしていった「草薙素子少佐」がいるので、まぁまぁ受け入れられなくはないのだ。

先に台湾から帰ってくる時に見たと書いたが、その台湾から始まる映画だったのでちょっと笑ってしまった。
チンピラ男から頼まれて、高級ホテルにアタッシュケース(手錠付)を届けに行くルーシー。
どうやらこれはかなりヤバい薬(見たところは青いシリカゲルみたい)らしく、チンピラ男は殺されちゃうし、ルーシーも他の数人と一緒にこの薬を体内に埋め込まれ、運び屋として世界中に飛ぶことになる。

何しろこの相手が韓国ヤクザのようで、字幕も出ないから最後まで何言ってるのかさっぱりわからんのだよね。
韓国人はこの映画見たら逆にセリフが全部わかってしまうのか、それともかの「ローグアサシン」(面白いよ!)でデヴォン青木が喋った「サラダ食べたいの!」みたいな支離滅裂な母国語が聞こえて吹きだしてるのか、どっちなんだろうか。

ところがルーシーはそれを狙う勢力から暴行を受け、その薬が体の中に漏れ出してしまったからさぁ大変。
ルーシーの脳はどんどん覚醒していき、髪の色や姿を変えるのは朝飯前、襲ってくる刺客を投げ飛ばす怪力や、投げるまでもなく宙に浮かせる念動力が使えるようになっていく。脳味噌すげぇ!(棒読み)

無論、ハッキングやクラッキングはお手の物。
ルームメイトの体の不調をまるでベイマックスのようにスキャンして知ることができたり、しまいには時をも止めて手塚ゾーンもびっくりの恐竜大紀行までできるようになるのだ。脳味噌すげぇ!(棒読み)

最後はパリでモーガン・フリーマン演じる脳科学者と合流し、事情を説明。
このノーマン博士の説は、映画だけにわかりやすくて楽しかった。
生物は過酷な環境下では各個体が「不死」を目指して進化し、食物が豊富で生命への脅威がない時は種の「繁殖」へと進むのだそうだ。

「ベルクマンの法則」がそうであるように、北の生物は自身が強く逞しくなり、南の生物は小さいけれど多数繁殖になるのかしらん。(でも北は確かに環境が苛酷で食物不足に悩むけど、南は南で食べ物があってもすげぇ寄生虫とか恐ろしい感染症とか多いよね!)

覚醒はさらに続き、やがてルーシーは自分がどうなってしまったか、そして100%覚醒するとどうなってしまうのかを知る。
最後は韓国ヤクザと銃撃戦になり、追い詰められたルーシーは銃口を向けられ、そして消えてしまう。
この世界そのもの、すべての事象や量子や概念に溶け込んだとでも言おうか…なんだかよくわからん。

とりあえず、ツッコミどころが満載過ぎて、いちいちツッコンでると楽しめないので、ゆるい気持ちで見るのが正解かな。
一応ルーシーの目的は、青いシリカゲルが悪用されないように体に埋め込まれた人間を確保し、薬を回収していくってことなんだけど、そのへんはどうでもいい感じ。

とにかく1時間ちょいで短いし、カーチェイスや銃撃戦もあるし、ヨハンソンはまだ十分カメラに耐えうる美貌だし、映画的なそのへんはクリア。
人がマトリックスのようにデータに見えるとか、襲い掛かる暴漢を宙に浮かすとか、目新しい映像があるわけではないけど、お約束的なのはいくつかあるしね。

いや~、CMで見たとおりの印象のアホな映画だったけど、機内上映で見られたし、終わったらちょうど羽田に着いたし、まぁいいかな。

100%覚醒のルーシーが博士に渡したデータ(わざわざシモジモにも使いやすいようUSBにしてくださった)を、我々覚醒10%組が理解できるようになるのは果たして一体いつになるんだろうか…(超棒読み)

(2015/10/12 記)
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ベイマックス
2015/02/08(Sun)
「私はベイマックス。あなたの健康を守ります。」

ディズニーとマーベル・コミックがタッグを組んだ作品ではあるけれど、言われなければわからないほどディズニー色が強く、そしてとても面白い作品だった。
舞台は日本っぽい「サンフランソウキョウ」で、ベイマックスは原作ではどうやら全然違う形状らしいのだけど、こちらではおっきくて柔らかくて可愛らしい「ケアロボット」として登場する。

高校を飛び級で卒業し、周囲の人と馴染めないヒロは、自分で作ったロボットを非合法のバトルに出しては小銭を稼いだり大人たちをやっつけたりする事で鬱憤を晴らしている。
そんな彼を見守るのは、少し年の離れた優しい兄タダシ。
このタダシが本当にいいキャラで、彼自身も優秀な秀才なんだけど、天才の弟を妬んだり嫉んだりすることなく、両親のいない家庭で、友達も作れず、ひねくれかけている弟の才能をなんとか伸ばしてやりたいと心配しているいい兄貴なんだよね。
甘やかし過ぎるわけでもなく、危ない橋を渡っているヒロを頭ごなしに叱りつけるわけでもなく、やがてタダシはヒロが興味を持ちそうだと考えて、自分が通う工科大学に連れて行く。

そこにはヒロと同等の会話ができる、偏屈だけど優秀な変わり者たちが一杯いた。
自分を化け物扱いせずに接してくれる大学生たちとの時間、彼らの面白おかしい発明品、そして兄の開発する「ベイマックス」にヒロの瞳は輝き、笑顔が戻ってくる。

タダシの思惑は当たり、大学に飛び級入学するという夢を抱き始めたヒロだけど、なんという事でしょう…
そんな優しくて大好きな兄さんが、ある時突然、事故で命を落としてしまうのだ。
もー、マジでやめてよ…海外アニメが結構あっけなく人を殺すようになったのはここ最近だけど、これって絶対ジャパニメーションの影響だよね。

ヒロは最愛の兄と、画期的な発明品である神経制御ができるマイクロボットと、大学入学後に教えを請おうと思っていたロボット工学の権威であるキャラハン教授を同時に失って、またまたすっかり意気消沈…
そんなヒロの前に、起動したベイマックスが現れる。
嫌がるヒロをスキャンしたり、触れたり、調べたりしながら、ヒロの痛みや苦しみを、淡々としたフレーズで表していくベイマックス。

このベイマックスのセリフがもうね、どれもこれも心に響くというか、温かく包まれるというか、たまらないんですよ!
見た人にはわかると思うけど、バイタルを分析してくれるかと思いきや、「痛みは10段階でいうとどれだ」と聞き返されちゃったりして、イライラするヒロの反応もちぐはぐな会話も面白くて、なんだかじわりと涙が出てくるほど笑ってしまう。
そしてこのじわっとしたわずかな涙はきっと、笑いすぎや悲しみからくるものではなく、自分の中にあった「ストレス成分満載の涙」なんだと思う。

物語はヒロが作ったマイクロボットを巡って二転三転。
「小さなロボットがどこかに行きたがっています」
ヒロの心が傷ついているのはタダシが死んでしまったから。タダシがなぜ死んでしまったのか理由がわかれば、ヒロは元気になる。
それを確認したベイマックスは、小さなマイクロボットを持って街へ繰り出し、慌てたヒロは引きこもっている事も忘れて追いかけていくことに。
やがて2人は、燃え尽きてしまったと思われていたマイクロボットが大量に保管されていた工場に辿りつく。
ヒロはともかく、ベイマックスの潜入は一騒動で、空気を抜いたり入れたりこれまた大変。最後には穴が開いちゃった部分に、自分でセロテープ補修するのが可愛過ぎる!!
仮面の男に襲われたものの、命からがら逃げ出したヒロは、マイクロボットが無事という事は、あの時死んだタダシは事故死ではないと言う結論に達してしまった。

大学の変わり者の仲間たちと共に兄の死の真相を探るべく、ヒロはベイマックスに武装をつけ、飛行能力をプラスする。
格闘技をするケアロボットが必要でしょうか?と首を捻るベイマックスは可愛くて、飛べればよりよくなるというベイマックスも可愛い。つか騙されてる!騙されてるよベイマックス!!
仲間たちが使う道具も、反重力バイクとか、何でも切れるカッターとか、伸びたり縮んだり自由自在のボールとか、どれもとても面白い。みんなのパワードスーツもさくっと開発しちゃうヒロはやっぱりとんでもない天才なんだなぁ…
あとフレッドのまさかの正体にはビックリした。執事もカッコよくてビックリした。

マイクロボットを操っていたのは、タダシが救出に赴き、彼と共に死んだと思われていたキャラハン教授だった。
教授はかつてグレイが行った物質転送装置の実験で娘を失い、その復讐のためマイクロボットを使おうとしていた。
マイクロボットに固執していたのがこのグレイだったので、黒幕はこっちかと思わせてキャラハンだったというどんでん返し。

ヒロはキャラハン教授が兄を見殺しにしたと知って怒りに震えるも、ベイマックスに残された映像の中の兄は、人びとを癒し、ケアするロボットを作る夢を語る。ベイマックスに人殺しをさせたりしてはいけない…仲間たちやベイマックスにも諭されて、ヒロは怒りを収めていく。
ホントにね、兄貴は最後の最後までいいヤツ過ぎるんですよ。この人が作ったベイマックスだからこそ、ベイマックスはどんなロボットよりも素晴らしいんだよ。そして兄貴がどれだけヒロを愛しているかが伝わってくるのがね、とってもいいんですよ。

キャラハン教授の復讐は、マイクロボットでグレイを研究所ごと異空間に転送させて消し去る事。
ヒロたちはそれを止めようと立ち向かうも、ヒロが生み出したマイクロボットは変幻自在の姿ととてつもないパワーを持ち、凶悪な壁として立ちはだかる。
でもマイクロボットの特性は、その名の通り小さなロボットの寄せ集めである事。ロボットの結束を破り、小さくしてしまえば脅威はなくなり、復讐が果たせなかったキャラハン教授は無事お縄となったのだった。

そしてヒロとベイマックスには別れが訪れる。
キャラハン博士の娘を救うべく転送空間に向かった二人は、脱出直前大きな破片に襲われ、エンジンを損傷してしまう。
ベイマックスのロケットパンチなら、2人を出口に送り届けられる。嫌がるヒロに、ベイマックスはいつものセリフを言うよう促す。

「もう…大丈夫だよ」

言いたくないセリフ。さよならのセリフ。兄に続き、ベイマックスともお別れ。
ヒロがそう告げると、ベイマックスはロケットパンチを発射する。2人は出口へ、ベイマックスは転送空間へ消えていく…

娘が無事だった事を知り、キャラハン教授は安心して逮捕される。
再び失意のどん底に陥ったヒロだけど、ある日ふと、ベイマックスが残した腕を見て、拳が何かを握っている事に気づく。
それはベイマックスの全てが詰まったデータチップだった!
ってか、ヒロとベイマックスが別れる時に、「あー、データ抜き出せばいんじゃね」と思ってた自分を、「うん、ちょっと冷たいな、私」と思ってたのに、そのまんまじゃねーか!!しかも自分で抜き出しただとぅ!?やるな、ベイマックス!

タダシが作ったボディはなくなってしまったけれど、今度はヒロ自身が作ったボディで、ベイマックスは見事復活。
2人はまた、大空を飛びまわり、人びとの危機を知れば駆けつけ、仲間たちと切磋琢磨しながら、日々を過ごしていく。

「泣きたいときは、泣いてもいいんですよ」

泣きたい時に安心して涙を見せられる相手がいること…
その大切さを知ったヒロは、きっといつか、憧れてやまない兄タダシのような、優しくて大きな、素敵な男になるんだろう。

あー、本当に面白かった。
泣けて笑えてハラハラできて、とにもかくにも面白かった。
下手な最近のくだらないラノベアニメやハーレムアニメよりずっとよくできてる。
ディスニーもピクサーも、昔からの「勧善懲悪」や「仲間との絆」や「少年少女の成長譚」というテンプレは決して外してないのに、何より脚本が侮れない。日本もうかうかしてるとそのうちアニメでも後れを取って、バレーボールや柔道の憂き目を見るかもしれん。

ベイマックスが最高にチャーミングで、ヒロもだけど何よりヒロを想うタダシの愛が伝わる、最高の兄貴映画だった。
制作陣の日本へのリスペクトと愛も伝わってくるので、絶対お奨めしたいディズニー映画。ベイマックス最高♪

(2015/10/12 記)
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カールじいさんの空飛ぶ家
2015/01/17(Sat)
「風船で飛行」と聞くと、いやでもあの「風船おじさん」を思い出すよねぇ…

公開当時から見たいと思ってたんだけど、ウォーリー同様見そびれてしまった作品。
しかし念願かなって見てみたら、予想以上に大冒険譚でカールじいさんもラッセルも頑張っててすごく面白かったので驚いた。
ホント、最近のディズニーやピクサーの作品は侮れない。下手したら日本の「コアなファンでいいから円盤が売れる作品だけを作ろう」というアニメ業界よりいい作品を作ってるかもしれない。

子供の頃に「冒険が好き」という趣味が合ったエリーと結婚し、幸せに暮らしてきたカールじいさん。
しかし妻が病に倒れて亡くなり、訪ねてくるのは再開発のために立ち退きを迫る交渉人と福祉施設の相談員、それからボランティアの押し売りをする太っちょのボーイスカウト隊員くらいで、すっかり一人ぼっちの頑固じじいになってしまった。
ところがある日、偶然の事故で交渉人に怪我を負わせてしまったため、カールじいさんには裁判所から立ち退きと施設への入所が言い渡されてしまう。

失意のじいさんは、施設入所の前日に最愛の妻エリーが残した冒険日記を見つけ、彼女と行こうと誓っていたパラダイス・フォールへ行くことを決意する。
でも飛行機や船で行くのではない。なんと調度品を固定し、たくさんの風船を家に結びつけて、家ごと空の旅に出たのだ!

もちろん順風満帆ではなく、晴れの日ばかりではなく雨や嵐の日もあり、何かあれば風船はしっかり割れてしまう。(このへんはやけにリアル)
しかもさらに悪い事に、家の中にはボーイスカウト隊員のラッセルまで入り込んでいた!
このラッセルののんびりととぼけた性格と、カールじいさんの頑固で聞き分けのない性格がうまいことマッチングして、2人の会話が実に楽しい。
太っちょでおとぼけキャラのラッセルだけど、実は両親が離婚していて父親に引き取られたようなんだけど、父の再婚相手とうまくいかず、その結果父とも話ができないので、なんとかボーイスカウトのバッチを手に入れて父から授与してもらいたいのだと言う。
そんなポンコツ・トラベルでなんとかかんとかパラダイス・フォールが見えるところまで辿りついたものの、エリーと目指した滝の近くまで家を持っていくと、頑固なじいさんは譲らない。

ところがここにはかつてカール少年とエリーが憧れた冒険家のチャールズ・F・マンツが住み着いていた。
彼はかつて持ち帰った怪鳥の骨を偽物扱いされて失脚し、犬を従えて何十年も怪鳥を捕らえるべく狙っている。
で、その怪鳥はといえば、ラッセルの前に現れてチョコレートを貰い、すっかりなついてじいさんに「連れ込むな」と叱られる始末。
しかもさらにケヴィンを追っかけてきたバウリンガル付の犬・ダグまでもが二人に懐きまくる始末。

カールじいさんは最初こそ憧れの冒険家マンツに会えて感激していたものの、彼が怪鳥のケヴィン(命名はラッセル)を追っていることと、昔の栄光への妄執に危険を感じ、出発を急ぐ事にする。
が、すっかり少なくなった風船では、家はもう前のようには飛べないため、犬部隊に追跡されてついにケヴィンは拉致られてしまう。

マンツが隠し持ってた飛行船に乗り込むべく空を駆け、空中戦を繰り広げるその様はまるで往年の宮崎アニメを髣髴とさせる外連味たっぷりの冒険シーン。こういうのが見たいのに、労咳の病人の前でタバコだの妻との睦言だのを描いてるんじゃ、宮崎も老いたりよ。

「あなたが大好き!」とカールじいさんにラブコールするダグが死んじゃったかと思ったシーンは、わりと本気で心配しちゃったよ。
マンツに勝利し、飛行船を手に入れたじいさんはエリーとの愛の巣をパラダイス・フォールに置いてさらなる冒険の旅を続ける事になったようだ。
けれど大切な友人であるラッセルとの友情も続いているようで、どうやらママと暮らし始めたラッセルにバッチを授与したのは、疎遠になった父ではなく、カールじいさんだった。しかもそのバッチは、ボーイスカウトのものではなく、エリーがカールにくれた王冠のバッチ!
そして昔パパとやったように、カールじいさんと車の色当てをするラッセル。
それがひと段落すると、2人はダグをはじめマンツが飼っていた犬たちと共に飛行船に乗り込み、また大空へと新たな旅に出るのだった。

とにかく風船で浮かんだ家から見る景色が素晴らしい。町や畑や空がとても綺麗だった。
そしておでぶちゃんでボーイスカウトのくせにテント一つまともに張れないラッセルが超絶ウザい。ウザいのに、よくよく関わってみれば純真で素直ないい子で、しまいには可愛くすらなってしまう。なんか悔しい。けど嬉しい。
パラダイス・フォールがまんまギアナ高地。ケヴィンの七色の羽がとっても綺麗。バウリンガルで喋るダグがとにかく可愛い。
一万個を超える風船もカラフルで綺麗。家の調度品もしゃれていて、とても住みやすそうなおうちだ。

それにしても、まさか最後の最後にあんなコナンやラピュタばりの空中大合戦が待っているとは思わず、ホントにビックリした!そしてすごく面白かった!楽しかった!ケヴィンを助け、犬たちも死なず、マンツだけが落ちていった時は、じいさんがちゃんと手を伸ばしてかつての憧れの人を救おうとし、マンツもこれで心を入れ替えるか…と思ったけど、結果的には一人寂しく落ちていってしまった。容赦ないなぁ…ちょっと後味は悪いけど、最近の日本のアニメはぬる過ぎる作品が多いので、見習って欲しい。
カールじいさんとラッセルの友情物語もいいし、最後にケヴィンが雛を育てているメスだったというオチも笑った。

しかしやっぱり何より、あの風船おじさんもまだどこかを飛んでるのかなぁと思い出すような映画であった。

(2015/10/11 記)
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ヒックとドラゴン2
2014/12/29(Mon)
続編が作られると言われながら、企画がいつの間にか立ち消え、そして説明もなく葬り去られる作品は多々あれど、この「ヒックとドラゴン2」は、制作もされたし各国では上映もされてるのに、日本での上映はなしなんて…!
(後日、東京国際映画祭でオープニング上映あり)

というわけで、確か一言投票所で「とても面白かったですよ」とお勧めいただいたため、深夜に車を飛ばしてレイトショーを見に行った覚えのあるアニメ映画の第二弾。
1作目はどこか弱々しい青年ヒックと、怪我をしてしまったナイトフューリーのトゥースが出会い、友情を温め、やがて敵を打ち倒して、代償を払いながらも真のバディとなる成長譚だった。今時「主人公が隻脚になる」というアニメも珍しい。

それから5年が経ち、ヒックは不自由な足をものともしないドラゴンライダーとなり、猫みたいに可愛いトゥースは相変わらずのやんちゃぶり。恋人のアスティは相変わらずの腕前で早くもストイックの「未来の息子の嫁」自慢になっている。
すっかりドラゴンとの共存に慣れたバーク島は平和な日々を謳歌していたけど、ある日「ドラゴ」というドラゴンを操ることができるという男の支配下にあるドラゴンハンターがやってくる…というのが導入部。

今回もスピーディーな展開とトゥースを初め爽快なドラゴンの飛行シーン、そして痛みと苦しみを伴う成長物語が満載で、なんでこれを公開しなかったんだ?と首を捻ることしきり。多くの人がこれをブルーレイ、DVDになるまで見られないなんてあんまりだと思うわ。

何よりビックリしたのはやはり、実はドラゴン使いだったヒックのおっかさんが生きていたってことだね。
ドラゴンに襲撃された日、ドラゴンに入れ込むあまり、自分がヒックに怪我をさせてしまったと思い込み、後悔した母は父の元を去った。
おっかさんは孤高のドラゴンライダーで、ドラゴンの全てを知り尽くしている。それでもナイト・フューリーには会った事がないのだそうだ。「超激レア」というより、やはり「世界に一匹しかいないのかも…」というあたりが浮き彫りになるので、完結編たる三作目はヒックが身を固めると共に、やっぱりトゥースのお嫁さん(お婿さん?)探しになるんかな。
おっかさんの乗るドラゴンは大きくて強面だけどとても立派で強く、トゥースも思わず隣で胸を張って真似しちゃうほど。(可愛いのぅ可愛いのぅ)

父と決裂し、王たる白い巨大なドラゴンと共に生きると決めている母は、「ドラゴン嫌いのストイックは永遠に変わらない」と頑なに言う。でも今、バーク島はドラゴンで一杯だ。皆が自分のバディを持ち、仲良く家族同然に暮らしている。
ヒックは何とかして父と母を仲直りさせようと画策し、20年以上のブランクを経て再会した2人は、心を通わせ、息子もビックリなラブラブぶり。子供向けとかアニメだからとかそういうのはなしで、結構ラブラブ(でも下品だったりエロくはないよ)。

このままめでたしめでたしとなるかと思いきや、そうはいっても何しろ「ヒックとドラゴン」だ。
今回もまた衝撃が待っている…

自分以外にドラゴンを自在に操れるものなどいないと豪語するドラゴがやってきて、大量のドラゴンをけしかける。
しかもその激しい戦いの最中、母が慕う王たるドラゴンはドラゴに操られたドラゴンに倒されてしまい、かつドラゴに操られたトゥースは我を忘れ、狂乱飛行の中、息子を庇ったストイックを殺してしまうのだ!!!

うわー、マジか…

はっと我に返ったトゥースは、操られた自分が何をしたかわからない。
眼に映るのは大好きなヒック。だからトゥースは恐る恐るヒックのそばに向かおうとする。
けれどトゥースを待っていたのは、ヒックからの完全なる拒絶。
骸となった父を抱き、怒りと哀しみに支配されたヒックは、トゥースを追い払ってしまう。

無理もない…無理もないんだけどさ…
ワケもわからず、自分を追い払うヒックに戸惑うトゥースがさ…あまりにも哀れで…
でも一方で、たった1人で自分を育ててくれた、村のリーダーたる父を眼の前で、自分のバディが殺してしまうのを見てしまったヒックもさ…そりゃもうあまりにも可哀想でさ…

最強になってしまったドラゴは、主とはぐれたナイトフューリーまで手に入れて、すっかり覇王気取りなんだけど、彼自身、村をドラゴンに襲われて家族も仲間も自分の体も失ってしまったわけだから、彼なりにドラゴンを憎む理由はよくわかる。
おっかさんの出現だけでもビックリなのに、実はドラゴンとの共存を信じているという設定はちょっと唐突過ぎたと思う。
ストイックを失ったヒックが、最初のように「話せばわかる」は通用しないので行動あるのみ、になるのもわかる。
それによって結局はドラゴたちと全面戦争になってしまうというのもわかる。
わかるんだけど…まぁ、結局ヒックもしっかりと大人になっちゃったねという感じ。

激しい戦いが繰り広げられる中、ヒックの呼びかけと、ヒックのことが大好きな自分の意思の力で洗脳を解いたトゥースが、その激しい咆哮で相手のキングたるドラゴンを威圧して打ち負かす。
ヒックがバーク島の族長になると同時に、トゥースもまたドラゴンの長になるというラストは、戦いの締めとしてはなかなか感動的。
そのためにはハルバル父さん…ならぬストイック父さんはヒックが大人の男になる「通過儀礼」として死ななきゃいけなかったのか…と思ってしまう。
おっかさんが生きてても、おとっつぁんが死んじゃうんじゃ差し引き変わらずじゃないの!

とはいえ、作画は相変わらず素晴らしいし、飛行シーンは宮崎アニメが忘れてしまった外連味たっぷり&爽快感溢れるスピード感で気持ちがいい。母ヴァルカによってトゥースの隠されていた翼が見つかり(トゥース本人も知らなかった模様)、もともと誰にも負けない速さだったナイトフューリーは手のつけられない速さに。

トゥースの海蛇嫌いも相変わらずだし、失われた翼を補うギミックも進化してて楽しい。
海に落ちたトゥースを置いていかれては大変と、今まさに謎のドラゴンライダー(お袋なので結果的には心配いらないんだけど)に拉致られようとしている自分の身も顧みずに「あいつは自分では飛びたてないんだ!」と心配するヒックもいい。

2作目でもあり、物語がハードだったり、物語が「大人の事情的判断」になっていくことといい、辛口批評が多いこともわかるけど、トゥースが「ヒックの父殺し」になっちゃうことも遺憾だけど、でも、でも…

やっぱりトゥースの猫みたいな可愛さを愛でる分には申し分ないよ!

私にとっては物語も十分面白かったし、ヒックはキャラデザ的にもちゃんとアダルトになってたし、見てよかったと思える映画だったよ。今回は本当に運よく機内上映で見られてよかった。
そして完結編となる次作もなんとか絶対に見たいけど…果たしてちゃんと公開してくれるんだろうか?

(2015/9/12 記)
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マレフィセント
2014/12/20(Sat)
アンジェリーナ・ジョリーが「眠れる森の美女」の魔女を演じる、ディズニーにしては珍しいヴィラン映画。
マレフィセントはもともと妖精の国に住む力ある妖精で、ある日迷い込んできた人間の少年と仲良くなる。

普通ならここで少年と妖精の愛らしいラブストーリーが始まりそうなものなんだが、この少年、成長するにつれて小狡くなっていき、なんと自分の地位欲しさに長年の友人であるマレフィセントを売り、彼女の魔力の元である漆黒の翼を切り取って王に献上してしまう。
力と友人を同時に失ったマレフィセントはすっかりひねくれ、少年はまんまと王位を手に入れて嫁までもらい、ご満悦。

というわけで、この「招かれざる」魔女たるマレフィセントが、この不届き者の王の娘に極上の贈り物をする…ということで「眠れる森の美女」もヴィラン側から見たらしっかり理由がありましたよという筋立てになっている。
そしてオリジナルの「眠り姫」と同じく、呪いを怖れた王と王妃はオーロラ姫を3人のかしましい妖精に預け、姫は森の中で成長していく。

隠すために森の中にいるはずが、マレフィセントは彼女の正体も居場所もちゃんとわかっていて、時に危機を救ったり、語り合ったりして、姫からは「私のフェアリーゴッドマザー」と懐かれてしまう。
このへんの複雑怪奇な感情は鉄面皮のマレフィセントの行動をコミカルに見せてちょっと面白いんだけど、何か一味足りないな…という部分は、カラスが埋め合わせてくれるのでまぁまぁ大丈夫。

すっかりオーロラ姫が可愛くなっちゃったマレフィセントは、つむつむ…じゃなく、糸紡ぎに触れた姫は死ぬという自分の呪いを解こうとするも不可能。
魔力をなくしたばかりだったとはいえ、恨みも深かったからねぇ、あの時は…なまじ呪いの言葉や不吉な言葉を口に出してはいけないという言魂文化はないとはいえないと思うね。何しろ我々人間の脳は呆れるほど騙されやすいからね。

それにしてもとかく惚れっぽいディズニーの王子と姫の例に倣い、出会った瞬間恋に落ちちゃう王子フィリップのキスではオーロラ姫が目覚めないというのはちょっと笑ってしまった。
彼女を目覚めさせたのは、生まれたときから見守ってきたマレフィセントの親愛のキス。(唇じゃなくて額にね!)
暴君となっていた王を倒し、最後にはマレフィセントが人間の国と妖精の国を統一しておしまいというなんだかよくわからないハッピーエンド?なのだった。

ま、もうちょっとギャグテイストがあってもいいのかなとも思ったけど、アンジェリーナ・ジョリーにそこまで求められなかったのかもしれない。
だって最後まであのメイクで頬骨がくっきり出てておっかねぇんだもの。

(2015/9/12 記)
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思い出のマーニー
2014/08/13(Wed)
不覚にも何度も泣きそうになってしまった。
いや、はっきり言おう。
ここ近年のジブリ作品の中では、私的に最大級のヒット作であった。
ひねくれ者のアンナのひねくれっぷりが気持ちいいくらいなので、厨房時代のこっぱずかしさを思い出しつつ、本当に楽しめた。
「耳をすませば」が「楽しい中学時代」を送った子に捧ぐ話なら、「マーニー」は「屈折した中学時代」を送った子に捧ぐと言えるだろう。

私自身は先輩にぺこぺこと頭を下げ、教師からは理不尽な不満や怒りをぶつけられ(時には出席簿や竹刀で殴られながら)、クソみたいなクラスメイトとクソみたいな時間を過ごした中学時代は思い出したくもないほど大嫌い(クラスの雰囲気がよかった2年生の時だけは楽しかったが)なので、アンナの屈折ぶりには共感するところが多い。
表面上はいい子ちゃんで礼儀正しく、なんの問題もないゆえに教師からは名前も覚えてもらえないガキだったことも、存在を消したがっている(とはいえ、先生に関心をもたれた時はほんのちょっとだけ嬉しそうだったのも思春期の矛盾)アンナに共感できることのひとつである。
私も大人が嫌いで、教師が嫌いで、家族が嫌いで、同世代のバカが嫌いで、毎日言い知れぬ怒りが渦巻いていたが、反面それは「思春期独特の痛いこと」であることも嫌というほどわかっていたので、おくびにも出さなかった。それは途方もなく子供っぽく、「恥ずかしい事」だからだ。

ツッパリやヤンキーのようにとことんバカになりきるか、勉強に打ち込んで学級委員を務める「まともな子」になれればまだよかったのだろうが、どちらも嫌だった。不真面目も嫌、真面目も嫌。まさに嵐の時代だったと今は苦笑と郷愁を持って思い出せる。
結果的に地元ラブのマイルドヤンキーにもなれず、真面目でまともな人生も歩めず、今こうしてアニメや映画のレビューなんぞを書いて悦に入っているのだから、若人諸氏は気を付けた方がいい。いつまでも自分を「別格」だなどと思っていると、別の意味で別格…というか、「社会的規格外」になってしまう。

主人公のアンナは喘息持ちだが、絵を描くのが得意な女の子。
札幌で養母(養父の存在が写真でしか見られないのだが、多分いると思われる。)と暮らしているが、自分を腫物のように扱う心配性の彼女に苛立ち、おとなし過ぎてクラスでもなじめず、「自分は(人の)輪の外側にいる人間」と考えて内にこもっている。

そんなアンナは療養のため、ひと夏を養母の親戚の家で過ごすことになった。
海が近い自然一杯の町で、明るいおばさんと芸術家肌のおじさんと暮らし始めたアンナは、ある日湿地の真ん中に佇む古い洋館を訪ねる。
寂れた洋館に、なぜか心惹かれるアンナ。
やがて彼女は、そこに金色の髪の女の子が住んでいると気づく…

物語はアンナの屈折ぶりを丁寧に追い、大人との距離感、同世代の女の子たちと親和性がとれない不器用さ、能面のような笑顔と怒りが渦巻く内面を描き出していく。

養母から「何かあったら教えて」と渡された絵葉書には、当たり障りのないことを書いて投函し、大好きなスケッチをして過ごす日々。
もしこれが本当の親子関係なら、男でも女でも「親に怒りを覚え、葉書を送りたくなければ送らない」という無視スタンスを取るだろうが、もらいっ子のアンナにはそんな事はできない。これこそ元来の意味の「テンションが高い」状態である。
アンナが珍しく「一緒にいて楽」と思えるのは、10年に一度しか喋らないから「トイチ」と呼ばれる無口な漁師。
彼は潮が満ちて湿地の洋館に取り残されてしまったアンナを助けてくれ、アンナは彼の舟に乗って日がな一日スケッチをするのだった。

「ふとっちょブタ!」
ある日、近所の仕切り屋の女の子とトラブルを起こしてしまったアンナは、帰るに帰れず、湿地に向かう。そこには乗り手のいないボートがあり、漕ぎ出したアンナは、ついにあの洋館で金髪の女の子と出会う。

天真爛漫で美しいマーニーに、アンナは心惹かれていく。
マーニーは、自分の事は誰にも秘密にして欲しいと言う。二人は夜のピクニックに出かけたり、マーニーの父や母が帰ってきて開く盛大なパーティーに参加したり、いたずらをしてばあやを閉じ込めたり、テラスでダンスを踊ったりする。
マーニーと過ごす時間が楽しいけれど、そういう時、なぜかアンナは現実を忘れてしまう。
そして現実が以前よりずっと楽しいと思えると、今度はマーニーのことを忘れてしまう…

アンナがマーニーと出会うまでが意外と長く、誰もいない洋館に火が灯っていたり、突然マーニーが現れたり、前半はかなりゴシックホラーっぽい。
アンナの心が不安定になったり、何かしら事件が起きるとマーニーが現れるので、時空が交差しているのかとか、「アザーズ」のように別の時間が同地点で重なっているのかとか、色々と勘繰りながら見るのも楽しい。

そもそもマーニーとの時間に心地よさを感じるアンナは、彼女の存在を不思議とは思っても、ことさらに真実を突き詰めようとはしない。
この不思議でふわふわした感覚を楽しむのもこの作品の醍醐味のような気がする。
まさに思春期のまっただ中で、「嵐の心」と「凪の心」を持つ子ならではの心象だと思うからだ。

やがてアンナはマーニーに、誰にも言えなかった心のうちをさらけ出す。
養父母は自分を引き取ってくれて、大切に育ててくれている。
けれど、自分を育てることで自治体からお金を受け取っている…
それがアンナの心に深く刺さったとげだった。
大人からしたら、子どもを一人育てるのにどれだけのお金がかかるかとか、自治体と繋がることは、いい意味では「子育てについて相談機関と繋がれる」、悪い意味では「虐待の監視」になっているとか、色々と多角的に考えることなど造作もない。
けれどアンナは「自分が本当のこどもなら、自治体からお金を受け取ったりしない」と、純粋に一つの真実(そして大人が一番突かれたくないところを)を突く。
アンナは聡い子だから、そうは言いながらも、お金を受け取るのは無理からぬことだともわかっているのだ。
だから養父母にあからさまに責めたり、怒りをぶつけたりはしない。そもそも、そんな事をして、表面上は問題のない養父母との関係がこじれることも恐れている。

けれど、自分が傷ついていることをわかって欲しいという心の叫びが、彼女を能面のようにし、怒り渦巻く心を作り、大人との微妙な距離感を取らせている。「自分は無条件で愛されている同世代の子とは違う」という違和感が、「外側にいる」と感じさせる。
こうしたアンナと養母の関係は、彼女を「誰もいない時、引き取ってくれた彼らこそ本当に優しい人たち」と擁護したマーニーだけでなく、きちんとした挨拶ができることや、包丁を上手に使えるアンナがちゃんと躾けられていること、アンナを引き取って大喜びで写真を送ってきていた養母の姿を、おばさんの口から語らせることで浮き彫りになっていく。
これによって狭まっていたアンナの視界が少しずつ広がっていく演出がなされているのはうまい。

この時点のアンナの怒りは、得体のしれないものへの怒りでしかない。
けれど次にマーニーの話を聞いたアンナは、体が震えるような怒りを感じ、義憤に駆られるのだ。
最初に窓から見えたマーニーは、金色の髪をブラッシングされていたが、それがやけに乱暴に見えた。おかっぱくらいに伸ばしたことがある人なら、絡んだ髪の毛をブラッシングされる時の泣きたくなるような痛みには覚えがあるはずだ。(私はブラシより痛い櫛が死ぬほど嫌いだった。正直、今でもトラウマで使いたくない。)
ばあやはわざとマーニーの長い髪を乱暴にとき、彼女に苦痛を与えて悦んでいたのだ。
パーティーの夜に会ったばあやは確かに、マーニーに対して「大切なお嬢様」ではなく、「聞き分けのない手のかかるバカな子」という憎々しげな物言いだった。
父母がいない時、ばあやにいじめられ、双子のねえやに脅され、マーニーはずいぶん可哀想な子供時代を過ごしていた。時にはねえやたちに面白半分に「おばけサイロ」まで連れて行かれそうになり、心に刻まれる恐怖体験をしていた。

完全に児童虐待の域。
「英国王のスピーチ」の主人公のジョージ6世も、忙しい国王夫妻の眼を盗んだ乳母に、兄エドワード共々苛め抜かれ、その結果吃音を発症したと言われているらしい。
乳母やベビーシッターに虐待を受けるというのは、子どもが何も言えないだけに結構多いんだろうなぁ…
自分より弱い者をいじめる心理って、生物には本能的にあるのかもしれないけど、だからこそ人間なら理性をもってやめられるわけで、それを平気でし続けるのはホントにいやなことだ。
とはいえ実はこの映画、予備知識として「マーニーの環境が最悪だった」ということだけは聞いていたので、私はもっと最悪なことを考えていた。
何しろ最初にお化けサイロが出てきた時、「ああ、マーニーは親に虐待されてあそこに閉じ込められ、食べ物も与えられず餓死か、幻覚を見て転落死した子なのかも…」なんて思っていたのだから<発想が暗いなっ!!

「あなたは…脅かされたりしたこと、ないの?」
「ないわっ!そんなこと、一度もっ!」
アンナのこの力強い一言が、養父母がどれほど彼女を大事にしているかの証明になるのだけど、義憤に駆られる彼女はもちろん気づかない。

サイロに行こう…そして、あんなものは怖くもなんともないとマーニーの心を救ってあげたい…アンナはマーニーの手を取り、嵐が来そうな中、サイロへと向かう。
このボロボロのサイロなんだけどさ…作画演出がマジで怖いんだが。
ねえやが逃げ帰った時の雷の夜も、この雨で水浸しの夕方も、作画が怖すぎる。
アンナはマーニーを心配するあまり怖がってないけど、見てるこっちは「おいおい、こんなとこ一人でよく入れるなアンナ」と冷や汗ものだった。こえーよ。
幼馴染のノブヒコの名を呼ぶマーニーをいぶかしみながら、彼女を抱きしめていたアンナだけど、マーニーはやがて、迎えに来たノブヒコと行ってしまう。
アンナを一人、そこに置き去りにして…

夢とも現ともつかない現象の中、雨の中をマーニーを探すアンナは倒れ、サヤカちゃんに助けられる。
この東京から来たまん丸メガネのサヤカちゃんが、またビックリするほどいい子なんだよ。
マーニーの日記を見つけ出した彼女は、都会っ子らしいフランクさで、ズケズケ入り込み過ぎない距離感で接するのも、きっと札幌っ子のアンナには合ってたんだろうね。
トイチとも気が合うみたいだし、お兄ちゃんもいい子みたいだし、出番が少なくてホントに残念。

熱にうなされ、アンナは夢の中で再びマーニーに出会う。

「なぜ私を置いて行ったの?なぜ私を一人にしたの!?」

アンナの怒りの根源はここにあった。
両親と祖母が亡くなって一人残されたアンナ。
自分を押し付け合う親戚の醜い言い争いを見せられ、「いらない子」であると肌身に染みてしまったアンナ。
養父母はひねくれた自分を扱いかねて、療養だなんて体のいい厄介払い。
そしてようやく仲良くなれたマーニーも、男の人と行ってしまった…

「ごめんなさい、アンナ!私を許すって言って!」

CMで流れるシーンはここ。
嵐の中、窓を開いて許してほしいと懇願するマーニー。
拳を強く握りしめ、怒りを湛えた瞳で彼女を睨みつけるアンナの答えは…
お見舞いに来てくれたサヤカから日記を受け取ったアンナは、マーニーに絵を贈ったヒサコさんに話を聞きに行く。

マーニーの幼馴染だったヒサコさんは、静かに「とても辛い話」であるマーニーの物語を語り始めた。
忙しい両親に放置され、お手伝いさんたちにいじめられて育ったマーニーは、やがてノブヒコと結婚した。
けれどノブヒコが病気で亡くなり、体を壊したマーニーは娘を全寮制の学校に入れ、サナトリウムに入ることになった。
母に見捨てられたと感じた娘とは生涯わかりあうことができず、娘はある日、夫と共に交通事故に遭って亡くなってしまった。
まぁこのへんで「ああ、なるほど」とマーニーの正体がわかるわけだ。アンナも当然そうなのかと思ったけど、意外にもこの時点ではわかってなかった様子。
娘が残した孫を引き取り、大切に慈しんだけれど、マーニーは翌年すぐに亡くなってしまう…
涙をこらえるアンナと、ぐしぐしと泣きじゃくるサヤカ。

その様子を見て、ヒサコさんは穏やかに微笑み、「あなたも、マーニーに会ったのね…」と言う。
幸薄い子供時代を過ごしたマーニー。家庭に恵まれず、愛する者を次々失ったマーニー。何も見届けられずにこの世を去ったマーニー。
けれどそんな哀しい人生を送ったマーニーの未来は、養母の手からアンナに届けられた。
養母が届けてくれたのは、アンナが施設からやって来る時、大切そうに握りしめていた古ぼけた写真。
写っているのは、見覚えのあるあの洋館。
そして裏面のサインは、アンナの祖母、「マーニー」の名前が書いてあった。

養母への絵葉書には、とても美しい水彩画が描かれるようになっていた。
トイチのボートにサヤカと一緒に乗ったアンナは、明るい表情で笑い転げていた。
おばさんに呼びかける声も大きくて元気で、遠慮のない、こどもらしい話し方になっていた。
お金を貰ってると正直に話してくれた養母にも、笑顔で答えることができた。
「ふとっちょブタ」にも、ちゃんと謝ることができた。
何より、ヒサコさんに頼子さんを「母です」と紹介することができた…

ひと夏の経験によって、一人の少女にこれほどまでにもたらされた変化をわからせてくれたラストに、本当に泣きそうになる。
何がアンナを変えたのだろう。
もともと賢くて精神年齢の高い子だからこそ、大人の欺瞞や綺麗事を見抜いてしまう。それはある意味とても不幸な事だ。
感受性が豊かゆえに、自分自身が作り出す感情の嵐に巻き込まれ、ほとほと疲れ切ってしまうのもとても苦しい。
彼女に変化を与えたのは、マーニーと出会ったことだけではない。
子供を育て上げた大らかなおばさん、芸術家肌でうるさい事なんか言わないおじさん、同じ「絵を描く」ことを趣味とするヒサコさん、そしてアンナについてうるさく詮索したり、好奇心丸出しでズケズケ入り込んだりしない都会っ子サヤカちゃん。
いつも黙って助けてくれ、ずっと喋らなかったトイチが、最後にぼそっとマーニーのことを話す演出もいい。
映画が始まった時、刺々しかったアンナの周りは、おろおろするばかりの養母を含め「敵だらけ」だったのに、終わってみればこんなに素敵な人たちが彼女を見守ってくれている。

清々しく締められたラストに、久々に映画を見てよかったと思えた。そもそもこの作品を見る気もなかったのに、見たら見たでここまで感動できた自分にもびっくりだ。
ジブリなので作画は問題ないのだが、本当にあのおばけサイロのシーンはおっかなかったわー
女優二人の演技も、アンナが「あっ」ばっかりだったり、発音にやや不安があるものの、そのたどたどしさが逆に多感な少女らしさをよく表現していてよかった。

ただやはり難点が一つ。そしてそれはこの映画最大の難点だ。
なぜ舞台を日本にしたのか?
米林監督は前作の「借りパクのアリエッティ」でも洋もの原作を無理やり日本風にアレンジして違和感出まくりだったが、なぜそこから学ばなかったのか…
もしかしたらプロデューサーの意向かなとは思うが、宮崎アニメでも半分は洋ものをやってるんだから、別に縛る必要はないと思う。
普通にイギリスを舞台にしていれば、アンナの瞳が青いという無理やりな伏線を入れることもなかったろうし、内容的にも舞台が日本で「なければならない」理由は見当たらなかった。
むしろ違和感が強くて、どうせならちゃんと外国を舞台にした方が無理がないなと思えた。ここだけはちょっといただけない。

私はこの作品を見て、ジブリのさらなる可能性を見た気がしたが、アニメ制作部門はこれで一旦閉じるのだという。
「耳をすませば」のように、「天才(宮崎)でなくてもいける」と思わせるに足る光るものを見たと思うのに、実にもったいない話である。
期待が低かったせいもあると思うが、本当にとても面白かった。より細やかな描写が多そうな原作も、機会があればぜひ読んでみたい。

「あなたが好きよ、マーニー!」

「宮崎以外のジブリなんて」といぶかしんでいる人、そして「おお振り」や「耳すま」や「ハイキュー」のような、明るく健全な思春期とは程遠い青春を送った人にこそ、ぜひ見てもらたい映画だ。
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