パラレルモーション -Parallel Motion-

旅と趣味について たまに・時々・不定期更新予定

マチュピチュの水害

2010年が明けて間もない1月末、ペルーで水害が起き、
世界遺産であるマチュピチュに観光客が閉じ込められた
というニュースが入ってきた。今日現在、ニュースは
すでに邦人観光客は全員救助されたと伝えている。

実は私がペルーに行った時期も2月半ば頃だったが、
その年も雨が多く、崖崩れがおきたためユカイから
アグエス・カリエンテス(現在のマチュピチュ村)
までの列車が通行止めになってしまっていた。

列車でのんびりとマチュピチュを目指す行程を
楽しみにしていたのに残念ながらそれはかなわず、
ではどうやって行ったのかと言うとヘリを使った。

ちなみにヘリ代を1万円上乗せされた20人ほど乗れるヘリ

しかしこのヘリ、無論狭い山間の小さな村に
着陸することなど出来るはずがない。
どこで離着陸をしたかというと、増水した河原である。
しかもまるまる一駅以上先の砂洲。

つまり我々はヘリから降りた後、列車の来ない線路を
避難民のように歩いてアグエス・カリエンテスに
向かったのである。トボトボと歩き、途中の駅で
トイレを借り、またひたすら線路を歩いたのだ。

この時はマチュピチュの頂上の一軒しかないホテルに
宿泊することができるというのがツアーのウリだった。
従ってスーツケースを持っては行けないのでもともと
一泊分を手荷物にして持っていくことになっていた。

リュックサックを背負い、増水したウルバンバ川の
水音を聞きながら、線路の上をとぼとぼと歩く…
なかなかの風情というかなかなかの寂しさというか、
まぁ何より滅多にない経験ができたことは楽しかった。

無論、そうやってたどり着いたマチュピチュ遺跡は
本当にすばらしかった。マチュピチュとはケチュアの
言葉で「古い峰」という意味だそうだが、一軒宿の
ホテルに泊まれたおかげで、夕映えのマチュピチュ、
朝もやの中のマチュピチュを見られただけでなく、
正面にそびえている「ワイナピチュ(若い峰)」に
登ることもできてしまった。鎖場があるほどの頂上
付近は険しいが、素人でも登れないほどではない。

まさしく「天空の遺跡」麓に泊まる観光客は日暮れまでに帰る

ちなみにワイナピチュは標高2800m弱。
しかしマチュピチュ遺跡も2500mほどのところに
あるので、実際に登るのは250mほどだそうだ。

運のいいことにマチュピチュにいる間は天気がよく、
またヘリに乗って帰る時はひどい土砂降りであった。
有名なマチュピチュの「グッバイボーイ」に見送られ、
雨の中を再び線路の上を歩いて砂洲へと向かった。

列車の動いていないアグエス・カリエンテス駅列車が来ても来なくてもノンビリ

帰りは本当にかなりの悪天候だったので、まさかヘリも
運休では…と心配したが、無事に迎えに来てくれてホッ。
ヘリが着陸するシーンは映画では何度も見ているけれど、
実際にプロペラが廻り、水煙を巻き上げ、水面にも大きな
波紋を作りながら降りてくる姿は思った以上に圧巻だった。

私の場合、今回の水害トラブルほどは深刻ではなく、
かといって普通に列車でのんびりともいかなかったが、
線路歩きやヘリ飛行など結構貴重な体験だったかもと、
今回のニュースを聞くたびに思い出したものである。

2010年01月30日 トラックバック(-) コメント(-)

「一度入ったら出られない」死の場所

何しろ国際ルール完全無視のかのお国に
食を頼り切っているわが国は、大問題が発覚しても
ただただ右往左往するばかりとは情けない…

そんな今日この頃、その中国で正真正銘
私自身が食べてきたものにまつわる話を1つ。

西域の夏の名物といえばハミウリ

先年、久々に(15年ぶり)中国に行った。
かつて巡った北京・西安・洛陽・上海と同じ場所ではなく、
かねてから行きたかった西域こと「新疆ウィグル地区」だったので
「これぞまさしく中国!」という雰囲気とは少し違ってはいたのだが…

何とも不思議な黒卵

クチャからウルムチに戻る日はタクラマカン砂漠に行ったのだが、
途中のドライブイン(本当にただのドライブイン)で食事をした。

ちなみにトイレは筆舌に尽くしがたいシロモノであった

いいホテルやいいレストランでいつも同じものを食べるより、
ちょっとくらい虫がたかろうがトイレがとんでもなかろうが
ニワトリが襲ってこようが豚がブーブー鳴いていようが
地元らしさが感じられるところは覗き見するには面白い。

ご飯を炒める奥で麺を打っている

ずーっとここで暮らせと言われたらさすがに泣きが入りそうだが。

西域ではどこでもどんな時でも麺が必ず出た

旅先では腹が減っているので一通り何でも食べられるものだ。
とはいえ私は香菜と羊肉が苦手なので、モスリム系やアジア系の
国ではいつも悩まされる。けれど実体験として、海外では好き嫌いが
あるとかないとかより、「何を食べても無事消化できる強い胃腸」が
一番貴重だと思う。そういう意味では、どんな国に行こうがこれまで
一度も問題を起こした事がない我が胃腸はなかなか偉いヤツだと思う。

豪快にザクザクと切る包丁ではなくナタ

デザートは裏の畑のスイカであった。

けれどさらりと恐ろしい話も聞いた。
ぶどう棚が街中にあって干しぶどうの名産地でもある
トルファンでは大きなぶどう農家の家に行ったのだが、
最近のぶどう農家は農薬をしこたま使っているので、
屋台で安い干しぶどうを買うのはやめた方がいいそうだ。

そこまでわかってるならやめさせてよ!

しかし実はこの時、ただホノボノと飯を食っていたわけではなかった。
この日の夕方にはウルムチ行きの飛行機に乗らねばならないのに、
タクラマカンを吹き荒れる砂嵐がひどくて、ウルムチまでの飛行機が
既に一週間飛んでいなかったのだ。もしこのまま飛ばなかったら、
列車でウルムチに向かうか、深夜バスで強行しなければならない。

列車は一晩かかるので一等寝台ならまだしも、飛行機の欠航が
相次いでいるため満席。そのため三等車しか取れない。

一等車ならまだしもねぇ…

中国人に混ざって三等車で旅をするなど不可能だ。
いや、もちろん関口知宏みたいに「全然ヘーキ♪」という人も
たくさんいるだろうけれど、少なくとも私は無理。絶対イヤだ。
しかも列車ではウルムチでの観光は全てキャンセルになる。
同じきつくてもせめてバスでと願っていたが…

この旅もやはり一筋縄ではいかなかった…

飛行機は奇跡的に飛んだ。
無事に飛行機が飛んでいるという一報が入り、バスでの旅も
捨てがたかったなどと不埒な事を思いつつ空港へ向かう。

ところが着いた先は空港は空港でも軍港であった。
どこぞの国の払い下げ品であろうトムキャットやミグが
仲良く飛んでいく中、突然現れた民間機が乗客と荷物を
放り投げるように降ろす。乗客も自分の荷物を拾うと我先に
空港出口に向かうのだが、その姿はまるで避難民のようだ。

それに空港出口もまるで家の裏木戸のような簡素な造りで、
誰でも簡単に出入りできそうなのである。だけどもし出入りしたら、
多分確実に日本に帰る日は遅くなるなと思わせる雰囲気があるのだ。

実は私が一番うまいと思った食い物は揚げピーナッツだったが機内食はアーモンドが一袋

ロシアでの一晩徹夜の立ち往生、アメリカでの乗り継ぎ大ピンチ、
ウズベキスタンでのパスポート不所持による強制送還に続き、
相変わらずトラブルまみれの旅であるそれがまた面白いんだが

2008年09月21日 トラックバック(-) コメント(-)

サハラのベルベル人

サハラ砂漠にはよほどの事がない限り、朝か夕方しか入れない。
日中は照りつける太陽で気温が上がり、人を阻むからだそうだ。

だから旅行者の多くは朝日、若しくは夕陽、もしくは
その両方を見に行くというのが一般的なのだそうだ。

従って当然、朝日を見に行く場合は夜明け前の闇のサハラを、
夕陽を見に行く場合はとっぷり暮れた闇のサハラを、
徒歩、またはラクダに乗っててくてくと歩く事になる。

サハラ砂漠に向かう場合の玄関口は色々あるようだが、私の場合は
エルフードだった。まずは砂漠に近づくまで、天井付の4WDに乗る。
車は非常にきれいでカッコいいのだが、サハラのプレ砂漠とでも
いうべき砂利砂漠はいかんせんものすごい悪路で、身長がやや高め
(というか『座高が高め』ということなのかもしれないが)の私は、
一体何度跳ねては堅い天井に頭をぶつけたかしれない。

真っ暗闇の中、それぞれ転倒しないよう砂漠の道を選んで走っている
他のメンバーが乗る4WDのライトが、アップダウンのあるプレ砂漠を
時折照らす。徐々に徐々に近づいてくる世界一大きな砂漠に心が躍る。

4WDで走ること30分ほど。地面の堅いプレ砂漠は終わりを告げ、
闇夜の中、月に照らされて小山のような形が続く砂漠が見え始める。
ここから朝日を見るポイントまで歩いて向かう。

サハラの砂は本当に細かくてサラサラである。
この砂は入ればテキメンにカメラを痛めるため、一眼レフなどの
よいカメラを持っている人はビニール袋にしまいこみ、靴に砂が
入るため歩く人たちは裸足やビーチサンダルになって準備を始める。

私は迷った末、ラクダに乗って月の砂漠をはるばると。
アフリカにいるのは大型のヒトコブラクダである。
たまにエジプトに行った人から、ピラミッドの前で観光客を乗せて
一回りしてくれたり、乗った写真を撮らせてくれたりするという話は
聞いたことがあるが、私はラクダに乗るのはこの時が初めてであった。

モロッコといえばジュラバが有名だけれど、今はこうしてラクダを
使った商売をしているベルベル人は遊牧民族らしいとても鮮やかな
青いシュシュを頭に巻き、私たちをラクダの元に案内してくれた。
ここで問題である。

ラクダには一体どうやって乗るのか?

ラクダの体高は大体170〜180くらいあり、背中のコブの頂点となれば
2メートルを超える高さにあるのもザラ。ヒトコブラクダはヒトコブ。
馬のようにあぶみに足をかけても、それだけで我ら短足の大和民族は
足が伸びきってしまってY字バランスを取ったままにっちもさっちも
いかなくなるであろう。かといって何もないだだっ広い砂漠の中で、
インドの象に乗った時のようなプラットフォームがあるわけでなし…
さて一体どうやって乗ってどこに座るのだろうか。

ラクダ休憩中ラクダは休んでいる時はこのように座っておられます

ラクダに乗る時は、まずはラクダさんに座ってもらって我々が
えっちらおっちらまたがり、最後に「ラクダ砂漠に立つ」のである。

ラクダのコブの上には二人乗りの鞍が乗せてあり、がっちりと
固定されている。クッションも厚めに敷いてあって、ラクダに
乗り慣れていない観光客のケツを守る。そして手綱ではなく
鞍の前面にはかなり丈夫な鉄の枠がついている。
なぜ鉄の枠?と思ったが、これは後々なんのためかわかる。

ベルベルさんにラクダを教えてもらってとりあえずまたがる。
既に背中に座っただけで足は地面にはつかないくらい高い。
というか背中が広くてでかいので足がかなり広がるのである。
私は行きが後ろ、帰りは前に乗せてもらうことになった。

そしてこのラクダ、立つ時のアクションがハンパではない。
ラクダさんはまず後ろ足からガバーーーッと立つ。
何しろラクダは「行きますよ」などと断ってくれない。
いきなり立つものだから乗っている我々は思いっきり前のめりになり、
その激しさには驚いたものだが、そこはさすが慣れたもの、ベルベル人の
お兄さんも我々がいきなりモロッコくんだりまで来て脳天杭打ちを
披露することがないよう、ちゃんと手で体を支えてくれていた。
鞍の鉄の枠も頼りないが一応ストッパーである事が判明したのである。

ラクダがぽっくりぽっくり歩き出せば、座高とあわせて3メートルを
超える高さから眺める真っ暗な砂漠が拡がっている。
砂漠は決して平坦ではない。眼の前に見上げるような砂の山があり、
それを超えるとまたその先に同じような砂の山があり…上がったり
下ったりしながら進むのだけど、いつまでたっても同じ光景で
本当に進んでいるのか我々には知る術もない。

まるでキャラバンのように一列になったラクダ部隊に遅れまいと、
まさに歩兵のような徒歩部隊が砂に足を取られながら砂漠を歩く。
ラクダは何頭か繋がれて1人の馬子ならぬ駱駝子?のベルベル人が
ついているのだが、私たちのラクダはなぜか1頭だけで、それをひく
お兄ちゃんは英語も全く通じないくせにえらいサービス精神旺盛で、
歩いている間ずっと「月の砂漠」を歌ってくれたのだった。

ラクダの乗り心地はといわれれば、もっこもっこと揺れまくる。
乗ってる位置が高いので高所恐怖症の人は結構怖いかもしれない。
それ以上に困るのが、このラクダ、ところどころで砂に足を取られて

つ ま ず く のである。

これが結構怖い。気を抜いているとおわっ、という感じである。
つまずいたくせに「ごめんなさい」も言わず、知らん顔してトボけ
コケてませんよという顔をして歩くのがこの野郎という感じである。
気を取り直し、姿勢を正し、周りを見ているとまたズボッとコケる。

何しろ2メートル程度のところにいるから落ちたらちょっとヤバい。
私が乗った頃は全然うるさくなかったが、今はきっと保険がきかないだの
自己責任で乗れ云々、しまいには乗っちゃダメと言われるに違いない。

とはいえゾウや馬などの動物に乗った中で、この時のラクダ騎乗は
今でもNo1の面白体験だったと思っている。乗っておいてよかった。
何事も後回しにせず、早いうちに体験しておくものである。

ラクダは家畜でありながら非常に謎多き動物で、コブの中には脂肪が
詰まっていて実に堅い。長い睫が砂を防ぎ、鼻も閉じる事ができるし、
非常に優れた嗅覚は何キロも先の水の匂いを嗅ぎ取ることができる。
蓄えた脂肪を利用して何日も水なしで砂漠を歩くことができるため、
「砂漠の舟」と呼ばれてベルベル人にとても大切にされている。
しかし既に野生種のラクダは世界にはいないのだそうだ。

そしてベルベル人たちによると、ラクダは非常に「嫉妬深い」とか。
もしもメスが他のオスと浮気しようものなら、そのメスの本来の
パートナーであるオスは浮気相手のオスをどこまでも追いかけて
つには殺してしまう、といわれているのだそうだ。つまずかれるのは
ちょっと困るが、三角関係や不倫が嫌いな私とは気が合いそうである。

さてのんびりと月の砂漠を「月の砂漠・エンドレスリピート」をBGMに
渡ってきたラクダ部隊と、冷たい砂の中を黙々と歩き続ける歩兵部隊は
ベルベル人に連れられて朝日を見るポイントに到達した。
何しろ季節は1月だったので、4時出発でもまだ完全に夜中である。

ベルベル人たちはラクダを数珠に繋いで放置し(杭に繋ぐなんてことも
せず座らせただけ)、我々のために砂漠にちょろちょろ生えている
駱駝草を集め、焚き火をしてくれた。1月はエジプトに行った時も
そうだったのだが、風がない季節なのでベストシーズンらしい。
砂嵐のシーズンなど正直「砂漠なんかどうでもいいよ〜」という
悲惨な状況になるらしい。朝日も夕陽もヘッタクレもないそうだ。

底冷えのする砂漠で焚き火をし、またしても「月の砂漠」を唄う
あんちゃんに手拍子であわせ、にわかキャンプファイアー。
その騒ぎに驚いて小さな蛇が出てきたり(ベルベルさんは蛇を捕まえて
焼いてしまった)
して、徐々に明るくなる東の空を眺めてわいわいと
夜明けを待つ。ベルベルさんはガイドや添乗員の目を盗み、袂から
デザードローズやアンモナイトの化石やアクセサリーを出しては
「1ダラー」「マイ・アルバイト」とヒソヒソと囁く。アンモナイトは
自分が掘ったんだぞとジェスチャーするのが可笑しい。ウソだろ〜

やがて遠い地平線から太陽が昇り、砂漠に朝がやって来た。
真っ暗だった砂漠が、太陽に照らされて初めてその姿を見せる。
どこまでも続く赤い砂漠。とても起きぬけとは思えないほど
ギラギラと眩しい太陽が、遮るもののない砂漠を照らしていく。

サハラの朝暗く寒い夜が明けて灼熱の朝が来る

広い。
ひたすら広い。
どこまでも砂漠。延々と砂漠。山があって谷があってその先も砂漠。
まるで粒子のような微細な砂が太陽に照らされて赤さを増していく。
私たちなど笑ってしまうほどほんの入り口に立っているだけだろうに、
これがマグレブ三国に渡る大砂漠だと思うと、広いなぁと感動する。

何人もの旅人をここに運んでいるであろうラクダたちは、写真を
撮ったりあちこち歩き回る我々の事などどこ吹く風で待っている。
砂を瓶に詰める人がいたり、植物の写真を撮る人がいたり、
太陽と地平線を眺めている人がいたり楽しみはそれぞれ。

やがて時間になり、我々ラクダ部隊はラクダの元へ、歩兵部隊は
行きの教訓からスピードの調節のため少し先に出発する事になった。
ところが何やら歩兵部隊が騒然とし始めている。
ラクダ部隊はわけがわからず、何事だろうとそちらを見ていると、
添乗員が事情を説明に来た。歩兵部隊も出発している…1人残して。

添乗員曰く行方不明者が1名出たそうなのだ。

歩兵部隊で1人残されたのは行方不明者の連れである。
我々が朝日を待っている間、確かに皆好き勝手に動き回ってはいたが、
何しろ闇の中なのでそう遠くへは行かなかった。明るくなってからも
それは同じである。右も左もわからなくなる砂漠で、集合基地から
離れるなんてことは普通ならちょっとできそうにない。

もうひとグループがもう1つ離れた山で我々と同じように
朝日を待っていたのだが、そちらにも行ってないようだ。
いなくなったのは若い男性で、彼女と一緒に来ていたのだが、
彼女も彼がいつどこへ行ったのか全くわからないと言う。

まぁいつも結構マイペースに動いている人だったし、男性なので
体力もあるしそんなに心配する事もなく戻ってくるんじゃないかと
皆楽観視していたのだが、どうやら事態はさほど簡単ではないようで、
ラクダを引っ張っていくベルベル人たちがなにやらヒソヒソと
深刻そうな顔で話をしている。さっきまで月の砂漠を唄ったり
アンモナイトアンモナイト言ってた彼らとは別人のようだ。

やがて数人が大声で何かを話し、我々が乗っていたラクダの列から
余っていた空のラクダを外すと、ラクダにまたがって立ち上がらせた。
そしてムチをふるってラクダを疾走させたではないか!

ちんたら歩いてはつまずいてコケるラクダの疾走が見られるとは!
そしてベルベル人がめちゃくちゃカッコいい!
アンモナイト、ミーが掘った掘ったと言ってた人とは別人のようだ!!

なんでもサハラ砂漠は太陽が昇るとすぐに砂の温度が上昇し、
朝は特にサソリの動きが活発になるのだという。慣れない者が
ヘタなところに足を突っ込むと刺されるかもしれない…

って、えええええ?!

驚いてる間もなく、我々ラクダ部隊も慌しく出発である。
彼を待つ彼女と添乗員を残し(ガイドは4WDに知らせるために先行)
なんだかあまり大笑いするわけにもいかず複雑な心境で帰る。
そして相変わらずラクダはコケッとつまずくのでビビる。

途中、プレ砂漠から応援に来た青いシュシュを巻いたベルベル人が
ラクダを我々が来た道を逆に疾走させていく。ラクダってあんなに
早いんだ…と見送り、こんな大騒動になるということは結構大事で、
ならば一体彼は今どこにいるんだろうかとちょっと心配になる。

つまずきラクダとお別れし、4WDに乗り込んでまたしても頭を
ガツンガツンぶつけながらプレ砂漠を走り抜けて全員が合流し、
バスに乗ってホテルに戻る。なんとなく重苦しい雰囲気だったが、
この時行方不明だった彼は我々が4WDで帰るのを遠目に見つけ、
帰る方向を悟っていたのだそうだ。その途端、ベルベル人の
探索部隊が眼の前にどどどどどと現れて仰天したと言っていた。

私の向かい側にいたラクダ部隊走る姿が想像できないのんびりてくてくラクダ

結局、まだ暗いうちにすぐに戻れると軽い考えで砂の山を越え、
夜が明けてきてから振り返ったら自分が幾つ山を越えてきたのか、
どちらの方向から来たのか、サラサラの砂に足跡が残っておらず
わからなくなってしまったのだそうだ。高いところに上っても
さらに高い砂山がそびえているので我々の姿が見えず、高いところ
高いところと目指して運良く登った山から我々が4WDで帰る姿を
見たのだそうだ。でもそれってつまり、我々がラクダや徒歩で
歩いてる時間は、本当にまるまる遭難してたということか…

とんでもないアクシデントではあったが、彼も無事だったし、
その後のスケジュールも支障がなかったので、おかげで貴重な
想い出にする事が出来た。ラクダは走ると早い。ベルベル人は
本気を出すと血気盛んでワイルドな遊牧民族っぽくてカッコいい。
そしてサソリはヤバい。だから砂漠で迷子になるのは本当にヤバい。

世界一の広さを持つ砂漠、サハラならではの味のある想い出である。

2007年11月26日 トラックバック(-) コメント(-)

屍鬼

2003年に読んだ小説「屍鬼」のレビュー。
ネタバレあるので読んでない方はご注意。

坊主の静信の電波ぶりにイライライライライライラしながらも、
1巻冒頭で棺桶乗せて逃げてきた若い男って明らかに静信だと
確信しているので、コイツは死なないし、結局沙子を連れて
逃げるんだろうとは思ってはいたが…

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2007年10月19日 トラックバック(-) コメント(-)

わんにゃんパラダイス

我が家には猫と犬がいる。
猫は去年1匹死んでしまったが、彼の血の繋がった兄である猫は
今も健在で、今年なんと17歳になった。人間年齢にすると82歳。

彼は1年目の冬に尿路結石を患って死に掛け、私は6kgある彼を
毎朝籠にぶら下げて歩いて獣医に連れて行き、体を冷やしては
いけないと言われたので自分のオイルヒーターを彼に提供した。

尿路結石のためトイレを我慢できず、断末魔の叫びを上げてあちこちで
血尿する彼をさすがに自分の部屋に入れるわけにはいかず、尿をされたら
すぐに拭ける場所を彼に提供したので暖房器具を入れる必要があった。
その場合、一番安全な暖房器具が愛用のオイルヒーターだったのである。

大体彼は弟が飼っている猫なのだが、なぜ私がと思いつつ、寒さに
震えながらせっせと看病した。生まれてわずか1年で死んでしまっては
あまりに不憫で可哀想だと思っていたのだが、まさかその後16年以上も
元気でいるとは家族の誰も思っていなかった。獣医もビックリである。

仲良しいつもこんな感じ

そんな恩も忘れて人の足に噛み付いたのもこの猫である。
てんかん発作持ちなので、パニックになった時にうっかり彼の
シッポを踏んでしまった私と弟は一度ずつ足を噛まれたのだ。
子猫の頃よく眠っている私の足の親指にかじりついては飯を
食わせろニャーと言っていたが、味見をしていたのかもしれない。

猫の牙が上下に貫通した足の甲はどす黒く腫れ上がり、病院の医師は
晴れやかに「リンパまで行ったら足首から切断するから」と言った。
冗談だろうと思ったがショパール付近まで腫れ上がった足を見ると
あながちウソではないのかもしれないとドキドキした。

私は丈夫な骨がある甲だったせいか跡もなく綺麗に消えたが、
柔らかいアキレス腱付近を噛まれた弟はケロイド体質なので
傷が治りづらいせいか、いまだに猫の歯形が残っていて笑える。

布団バサミ…デジカメがなかった頃なのでロクな写真じゃない顔のプリントがズレているバイカラー

長毛の猫に真夏の暑い日に体を擦り付けられると、汗ばむ肌に
ゴッソリと抜けた毛がピロピロと張り付き、嫌がらせとしか思えない。
彼はよく涼しい風呂場が好きでタイルに腹をつけて寝ているのだが、
時々ガタガタやっているので覗くと、排水溝から上がってきた
ゴキブリをひっくり返して遊んでいる。頼むから仕留めてくれ…

ちなみに彼は私が今飼っている犬の先代に育てられた。
以前飼っていたのも同じマルチーズだったのだが、これがまた
気の強い犬で、やんちゃだった彼がじゃれて爪でも立てようものなら
まだ小さな子猫なのに部屋の隅までぶんぶんとふっ飛ばしていた。
厳しい教育指導にたまげたが、おかげで彼が人や犬に爪を出す事はない。

また犬と育っているので犬を怖がらず、我が家に犬が遊びに来ると、
普通猫は逃げてしまうと思うのに(事実去年死んだ弟猫は喧嘩は圧倒的に
強いくせに臆病ですぐに姿を隠してしまった)尻尾を立てて挨拶に来る。

そのくせよその犬がこの珍しい猫に興味津々で寄ってきたりすると
背中が「ビビクンッ!」となって、実はビビっていることがバレバレ。
度胸があるんだかないんだか…

穏やかな性格だった弟猫はチンチラ種犬は死んでしまった弟猫とも仲がよかった

今のマルチーズが来た時は先代が死んで数年経っていたので、
もしかして威張るのではと思ったが、その姿に先代を見たのか
ひと目会ったその日から彼は彼女のじいとなってタックルを
受けまくる日々となった。エサの時間が遅れて腹が減ると、
ヌイグルミやスリッパをぶん投げる彼女から、タックルされては
迷惑そうな顔をしている。3kg以上の体格差があるので動じない。
もちろんそんな理不尽な目に合っても彼が怒った事など一度もない。
時折猫が犬の頭に手を乗っけて二匹で固まっているくらいである。

しかしこの猫、以前は先代にテーブルの上からコロッケを落とす
エサ係だったが、さすがにそれは今はやらなくなった…テーブルの
上の食べ物を落とすのが癖だったら今だってやっているはずだ。
けれどやらないということは、彼らの間に何かあるに違いないと
家族全員床に散らばるシャケや揚げカスを見るたびに思っていた。
ホントにどういう契約だったんだろう…

同じ両親から生まれたのになぜかチンチラ…兄猫よりもさらに大きくて綺麗な猫だった弟猫

2007年09月01日 トラックバック(-) コメント(-)

サマーアレンジ

夏の暑い日にはグリーンのアレンジメント。
鮮やかな緑は眼に涼しい上に、暑さに強く花よりも長持ちする。

だけど大胆に、元気にと思えば思うほどこぢんまりとしてしまう。
バカでかいモンステラは二枚使わねばならなかったのに一枚でギブ。
アレカヤシのカッティングも荒っぽくてデザイン性がなってない。

トロピカルグリーン実はタニワタリはホチキスでバチンバチンと止めている

ところで私はアレンジメントを習うようになって初めて、デンファレが
「デンドロビウム・ファレノプシス」の略であると知った…略語かよ!

タニワタリ、ゴッドセフィアナ、ハラン、モンステラ、アレカヤシ、ミスカンサス、デンファレ

2007年08月07日 トラックバック(-) コメント(-)

Alles Gute zum Gebrutstag!

誕生日を海外で迎えるのが夢だった。
年を取る事はもはや全然めでたくもないのだが、
何より記憶に残る誕生日になるからである。

しかしその時期に旅に出る事ができるかどうかはわからない。
混雑するとはいえ、やはりサラリーマンが海外に行きやすい
クリスマスや正月やGW、お盆休みに誕生日を迎える人ならば
チャンスも多いだろうが、私はそういう時期の生まれではない。

だが2006年は運良く誕生日を海外で迎えることができた。
場所はウィーン。ホイリゲというワイン居酒屋で、ワインを
飲んで大騒ぎというイベントの夜に祝っていただいたのだ。

ワインはグラスでなくジョッキででドンラブリーな衣装のホイリゲのおばちゃん

私は酒があまり好きではないが、それでもワインは美味しいと思う。
ワインは白でキリリと冷え、甘すぎず辛過ぎずで飲みやすく、
暑い中歩いた疲れもあって飲める人はがんがん飲んでいた。

飲めないのに海外での事、翌日も観光が目白押しなので私はもっぱら
ワインになる前のぶどうジュースを飲んだのだが、これも美味しかった。
これは夏ともなるとそろそろ次の収穫が間近いので例年なくなって
しまうのだそうだけど、この時はまだ残っていたので飲む事ができた。

酒が入っているのでどのテーブルも賑やかだ。
各国の人々が集っているので、楽師たちも色々な曲を弾いてくれる。
やがて突然私の後ろで「ハッピー・バースデー」が奏でられ始めた。

ハムとワイン♪外だったのでハチが一杯たかってきたけどね

実は私の誕生日は翌日であり、チェコで迎えるはずだったので、
まさか前日にサプライズがあるとは全く予想していなかった。
だから本当にビックリしていると、さらに添乗員さんからは
プレゼントを渡され、思いもかけないお祝いの夜になった。

私はどの旅でも運良くツアーメイトに恵まれて楽しく過ごすのだが、
この旅も本当にいい人ばかりでとても心に残る印象的なものだった。
それに加えて海外で誕生日を迎えるという念願がかない、
さらに忘れられない旅になったのは喜ばしい事である。

2007年07月25日 トラックバック(-) コメント(-)

私とお話、しませんか?

ブダペストでは、地下鉄に乗ってイシュトヴァーン大聖堂に登りに
行ったり(知らない町に行くとなぜか高いところに登りたくなる)
ちょうど日曜日だったので、賑やかな露天や大道芸の出ている
くさり橋を渡ったりして(真下のドナウが見える)ぶらぶら歩いた。

ヨーロッパの地下鉄がほとんどそうであるように、ブダペストの
地下鉄も切符を買ってパンチを入れ、そのまま通ってそのまま降りる。
乗り換えの時は新しい切符を買ってパンチを入れる必要があるけど、
検札さえなければそのまま自由に乗り降りできてしまう。
ただし、もし検札があれば外国人だとか言葉がわからないとか
乗り方を知らなかった、などの言い訳は一切通用せず罰金である…
と脅かされるので、言葉の不安な旅行者はやはり冒険しないに
越した事はないと思う(…と言っておこう、一応…)

ハンガリーの地下鉄改札乗る前に必ず切符をガチャコーンと入れる

とにかく旅の間中暑かった中欧最後の日も予想に違わず暑かった。
東京なら外になど絶対に出ないのだが、旅となるとそうもいかない。
くさり橋を渡ってから憧れのドナウ川を横目に散策し、漁夫の砦を
下から眺め、カジノのボロボロ具合や、王宮の真下を歩きながら
散策したのだが、出発点の駅に降りて改札に上がろうとした時、
マジャール人のおばさんが私にペラペラペラッと何かを聞く。
私がビックリした顔をすると、聞き取れなかったと思ったのか
またペラペラペラ。英語だってわからないのにこれは困った。

私は語学はからきしだが、1人でぶらぶらしているせいなのか
地元の人に道を聞かれたり、外国人旅行者から「ここに行きたい」と
話しかけられて困ってしまうことがよくある(教えてあげたいのは
ヤマヤマだが、こちらとて地理に疎い旅行者であるからして…)

パリではスーパーでおっかないおばあちゃんに魚の缶詰について
えらい剣幕で文句を言われて困った(缶の底を指差して怒るのだ)
リスボンではアメリカ人にケーブルカーに乗りたいと聞かれたので
(たまたま私も少し前に乗っていたので)地図を借りて教えてやった。
けれど私のヘタクソな英語で無事に伝わったのだろうか…
ローマでは旅行者には配らないようなチラシを渡されて困った。

結局、この時も私がマジャール語はわからないと英語で言うと、
おばちゃんはその時初めて私が外国人で、しかも白人ですらない事に
気づいたようで、大笑いして私の肩をばんばん叩くと何か言った。
口調や表情から察するに、多分ごめんなさいと言ったと思う。
笑ったのはあまりにも単純なミスが恥ずかしかったんだろうな。

こんな経験も、危険がないなら楽しいものだ。
向こうから見たらチャイナ系にしか見えないんだろうけど、
なんとなく街の風景に溶け込めているような気がして楽しい。

でもツアーの中で乗ったのは私1人だった…結構頻繁に来るし、路線図もきっちりしているので乗りやすい

ただ悪意のない女性ならいいけれど、困ってしまうこともある。
まぁ小洒落たイタリア男にナンパされてちょっとしたお喋りを
するくらいなら楽しいけれど、街角でエジプト人の男性にツカツカと
歩み寄られて「私と愛を交わしませんか」と言われた時はたまげた。
(はぁ?何?とか聞き返しちゃったよ。もちろんお断りだっつの)

あとバルセロナの市場でジュースを飲みながらブラついていたら
スペイン人のじーさんにえらい怒られた。何を言ってるのかはよく
わからなかったけど、多分ものを飲みながら市場を歩くという行為が
いけなかったんだろう。言葉の通じない外人でも全くひるまずに怒る
スペインのじーさんはすごいなとおかしな感心をした事を覚えている。

2007年07月17日 トラックバック(-) コメント(-)

誰が一番得をした?

トラベルの語源はトラブルというくらい、
旅にはアクシデントがつきものである。

何度も旅をしていれば様々なことに出会う。
乗る飛行機がないと空港に10時間以上も缶詰にされたり、
乗る船を間違えて全く見知らぬところに着いてしまったり、
道に迷ってめちゃめちゃ焦りまくって街中を駆け回ったり、
乗り継ぎの飛行機への時間がわずかで腹が立つほどだだっ広い
アメリカの空港をスーツケースを引きずってマラソンしたり…

おかげさまで命の危険を感じるような事態にはなっていないが、
スリリング過ぎて汗だくになったことは多々ある。

もちろん最近なら2001年9月11日にアメリカ本土やアメリカを
経由しなければ帰れない南米にいた人などには及ばないけれど、
私が遭遇した最も大きなアクシデントは「強制送還」であった。

残念ながら私ではなく、70を過ぎてなおかくしゃくとした
ご老人だったが、ウズベキスタンに入国した際、入国を待つ
列に並んだ彼女がパスポートがないと慌て始めたのである。

信じられないくらい青いヒワの空シルクロードの中継地点であり、英雄チムールの国ウズベキスタン

荷物をたくさん持ってきていた彼女なので、私はどこかに
紛れたんだろうくらいに思ったが、周りの人と一緒に探しても
見つからないという。やがてパスポートを持つ我々は入国を許され、
彼女は1人ポツリとイミグレの外で待たされる事になった。

日本のパスポートはご存知のように世界でもかなり信用が
置かれているので、たとえ紛失しても大使館や領事館で
何らかの形で日本人であると証明されれば、彼女は
仮パスポートなどの手続きで一緒に旅を続けられるだろう…

添乗員が空港の上層部に掛け合いに行っている間、我々は荷物番を
しながら気軽な気分でいた。何しろウズベキスタンなどに来るような
連中なので、みな当然旅の猛者ばかり。少々の事では動じない。

しかしやがて空港の女性管理官が我々の元にやってきて、我々の
乗ってきた航空機の整備が終わり、折り返しソウルに帰ると言う。
それにパスポートを持っていない彼女を乗せるというではないか。

ちょっと待ってくれ、今添乗員がいないと皆で抗議すると、
私がこのツアーで一番若く、なまじカタコトの英語を話したので
彼女に事情を説明しなさいと腕を引っ張られてしまった。
えええええええええ〜〜!?
そんな、私が今はいと言ったら彼女は乗ってきた飛行機に
そのまま乗せられて日本へ強制送還だとーーーーーーー!?

彼女と我々を隔てているイミグレーションのブースを通らされ、
(ここは資格がないと出入りできないよねと言っても無駄だった)
私はついに途方にくれている彼女の前に立たされた。
添乗員は交渉に手間取っているのかまだ戻ってこない。
管理官はそのまま私が喋るのを見張っている。
仕方がない…私は申し訳ないと思いつつ彼女に告げた。

「すみません、パスポートがない方を入国させられないので、
このままあの乗ってきた飛行機で帰ってもらうということです」

私が言い終わるや、彼女の返事も待たずに男性管理官2人が
彼女の背を押し、ビックリする彼女を連れていってしまった。
私は女性の管理官に促されてまたウズベキスタンに戻り、
待っていた旅仲間に事の次第を説明した。普通、旅が始まった
一日目は皆警戒してあまり喋らないものだが、いきなりの
アクシデントに、全員まだ名前すら知らないうちから
否が応でもすっかり打ち解けていた。

暑い日中は涼しい水辺のチャイハナで寛ぐ「太陽の国」と言われるほど乾燥して暑い砂漠の国

その飛行機が旅立っていくのを全員で見守ってから、ようやく
添乗員が戻ってきたが、彼女が帰った事を告げると「えっ!?」
と絶句してしまった。既に時計は夜中の11時を回っており、
上層部は留守で話が通じず、大使館に連絡しても返答待ちなので、
我々を心配して戻ってきたら彼女はすでに強制送還されていた…
というわけだ。そらビックリもするよ

するとあの女性管理官がやってきて、添乗員に彼女は帰らねば
ならなかったこと、気の毒だったのでなんとビジネスクラスに
乗せてくれたことを話して去っていった。ビジネスったってなぁ…

結局彼女は全く同じ空路をソウル経由で日本に帰り、
連絡を受けた旅行会社の社員が空港に迎えに行くと
思ったより元気だったという。

添乗員もベテランだったが、こんな事は初めてだったそうだ。
個人客ならともかく、普通は日本人のツアー客ならパスポートが
なくてもなんとかなるそうだが、今回は上層部がいなかったこと、
我々が乗ってきた飛行機がすぐに戻るとんぼ返り便だったのが
運が悪かった。帰る便がなければなんとか留めてもらい、
大使館に臨時のビザを出してもらえたそうである。

我々はといえば、もともと少人数だった上にこのアクシデントの
おかげで最初から仲良くなり、本当に旅を楽しむ事が出来た。
夜、誰かの部屋に集まってダベるなど後にも先にもこの旅だけだ。

しかし、実は彼女がいなくなったことで得をした人間がいる。

それは私だ。
私は彼女と相部屋になるはずだったのに、彼女が突如として
いなくなってしまったために1人部屋になったのである。
旧ソ連の広々とした(3部屋くらいあって使いきれない)部屋で
所在無く過ごしつつ、もしや彼女のパスポートを隠したのは
私だったのかも?などと無駄に思ってみたりした…

帰国の日、我々は再びタシケント空港に立ったのだが、
空港の係員は皆我々が起こした騒動を覚えていて、微笑んだり
親切に道を教えてくれたりした。あの女性管理官などは、私に
いやな役目をさせたと思ったのか肩を叩いて送り出してくれた。

青の都タイル装飾が素晴らしく美しい都

帰らされた彼女には気の毒だったが、このウズベキスタン、
私にとっては「どこの国が一番よかったですか?」と聞かれて
真っ先に「お奨めですよ」と答える国のひとつになっている。

2007年07月11日 トラックバック(-) コメント(-)

アルパカが笑う

真夏に訪れたペルーでは、暑かったのは海抜0メートルのリマと
イカ(ナスカ)だけで、クスコやチチカカ湖など、3000メートル、
4000メートルを軒並み超える高地ともなればセーター+上着が必要だ。
100メートルで0.6度下がるので、30度以上あったリマとは大違いである。

ちなみにマチュピチュは2800メートルだが、熱帯圏(ワイナピチュの
向こうには広大なアマゾンが広がっている)に入っているので、
さほど寒くはない。むしろいつも湿っていて暖かいくらいだ。

出立した日本は真冬だったが、暖冬だったせいもあってまさか真夏の
南半球がそこまで寒くはないだろうとタカをくくり、防寒が甘かった。
正直寒い。結局朝晩の冷え込みに耐えかねて現地でセーターを買った。
ペルーのセーターといえばアルパカ。
アルパカ100%、ことに「ベビーアルパカ」ともなると
本場のペルーでも驚くほど高い値段がつけられる。
その毛はふわふわもわもわで手触り滑らか。
カシミアとはまた少し違う肉厚感がある。

しかしそんな高価なものをインディオたちが買えるとは限らない。
だから現地の人々が着ているセーターはアルパカより硬い毛の
リャマのセーター。私が買ったのも当然リャマで、10$だった。

アルパカ?リャマ?はにかみ屋のインディオの子が連れていた

暖かいことは暖かいが、昔のセーターのようにチクチクいがいがする。
しかし今でも現役で、冬になるたびにリャマ柄のセーターを出しては
「あーチクチクする」と言いながら、あの国を懐かしがって着ている。

2007年07月09日 トラックバック(-) コメント(-)

あおいうみ あおいそら

海の写真を撮りたがる人は多い。
あまりにも青く美しい海を見て感動し、その色を、輝きを、
いつまでも手元に残したいと思うのは当然のこと。

けれど哀しいかな、人の網膜にかなうカメラはなく、
人の記憶に勝るメモリはない。
もちろんカメラマンの腕にもよるのだけれど、大概は帰って写真を見て、
ああ、あの海を連れて帰っては来られなかったのだとガッカリする。

「メキシコの海は違いますよ」
この海は写真に撮ってもビデオに撮っても、
必ず思ったとおりの色が出ます。
「そういう海なんです」

カリブ海の青カリブの海賊はこの地域では本当に驚異だったのだそうだ

そういう海だった。

2007年07月08日 トラックバック(-) コメント(-)